秋の焼山園地 紅葉見ごろ
焼山園地
焼山園地 溶岩観察広場
とにかく枯葉がいっぱいです。もう数年来ていませんが子供が小学生の時は虫取りに夜来ていました。
9月来た時はスズメバチが木にいたけど今は他の虫も含めていませんね。もう12月目前だし。
![]() |
ここでよく取れていたのはカブトムシだったよね?! あの頃は小さかった木が大きくなって夏は虫が沢山いそうです。 駐車場の銀杏の見頃もそろそろ過ぎようとしています。 |
![]() |
|
![]() |
スポンサードリンク
焼山園地 展望広場
入口にあるモミジが赤く色づき見ごろを迎えていますよ。せめて数本一緒に赤く染まるなら見ごたえがあるのですけどね。
木の下に回って見上げてみました。
![]() |
![]() |
![]() |
奥というか展望広場の中央付近にも紅葉が色づいています。 10月下旬以降だと思いますが草も刈られているので奥の方にも行きやすくなっていますよ。 本日回った時は蜘蛛の巣もなくその点は快適でした(笑)
|
![]() |
|
![]() |
謎の施設
![]() |
一番奥の紅葉とベンチの裏になんだか人の手が入ったモノがあります。 カガミもありなんなのと見渡してみると向こう側に小屋みたいなのがありそちらに向かうと弓の的らしき物体が去りました。 だれか弓かアーチェリーみたいなものの練習場にしている? |
![]() |
|
![]() |
何かの小屋というかなんなのか近寄ると上の方に文字が書いてある額がありました。
小屋をまわると同じように名前の違う3枚の「日置流雪荷派・・・」
![]() |
![]() |
帰ってネットで日置流を調べてみました。和弓の流派の一つだそうです。
_____
日置流(へきりゅう)とは、古流の逸見流を学んだ日置弾正政次(正次とも)が確立した、和弓の流派の一つである。日置弾正正次は室町時代(15世紀後半)の人といわれているが諸説あり、神仏の化身と称されたり、日置吉田流初代・吉田上野介重賢と同一人物であるとされたりするが、架空の人物との説が有力である。
雪荷派(せっかは)
吉田重政の四男(異説あり)、吉田重勝(六左衛門、号:雪荷)(永正11年(1514年)- 天正18年(1590年))を祖とする。
上述のように吉田家と主君の六角義賢の間で家伝をめぐって争いが生じた折、家伝が絶えることを危惧した重政らが雪荷に奥義を授けて京都に移らせたという。 引用 wikipedia _____