令和五年、初秋の鳥兎神社
雲仙市国見町土黒 烏兎神社
県道58号線(愛野島原線)の土黒川付近から小道へと入ります。右の写真は島原方面から来た時の小道への入口。
ここには鳥兎神社の案内があり「春は桜 秋は紅葉 鳥兎神社 1.7km →」とあります。
最近はいつも紅葉時期を狙ってきたいたので少し時期をずらしてみました。
場所:Googleマップ
しばらく進むと正面に鳥居が見えて来た所のすぐ左側に鳥兎の館と名付けられた建物と駐車可能な広場が設けられています。
県下有数の紅葉の名所になる事を夢見て努力しているとの事です。
特に白線等ありませんが数台程度駐車可能な広場となっています。また各種の石碑が設けられていました。
▼ 頌徳碑 ▼![]() |
▼ 各種記念碑 ▼![]() |
▼ 鳥兎の館建設記念碑 ▼![]() |
一の鳥居がありますが建立年がはっきりと分かりません。「〇治三十年」とは読めるので明治三十年(1897)ではないかと推察されます。
神額には「鳥兎神社」とありました。
すぐ先の右カーブの奥に周りには沢山の紅葉がある二の鳥居があります。
天保十四年(1843)建立の二の鳥居で神額は「摩利支尊天」とありました。
町指定天然記念物 鳥兎神社境内のスギ
口伝えによると、元和年間(一六二〇年頃)時の社掌岑權之太夫によって、神木を摩利支天本殿奥の院両側に各一本を植樹したといわれ、その他三本は、寛政年間(一七九五年頃)七代目の社掌によって植樹されたと伝えられている。
現在残されている大杉は、大きいもので幹回り六.三メートル。樹高四十二メートル程である。
そこには忠魂碑があり地元(現在の土黒地区)の戦死された方の為に設けられたもののようでした。
忠魂碑の方から拝殿側へと歩いて行きます。水は… ありませんが手水鉢があり授与所の建物がありました。
よく見ると扉の鍵はかかっておらず開けておみくじなどを授与できるようです。
参道をまっすぐ来ると階段を上って左側に手水鉢がありこちらには水道が設けられていました。
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拝殿の右側に「三本足の烏(カラス)を知っていますか?」と題した案内がされています。
_____ 現地案内文
三本足の烏を知っていますか?
日本サッカー協会のシンボルマークにも採用されている三本足の烏(やたがらす)は日本の建国にかかわるとても神聖な烏です。
古事記によると、神武天皇の軍勢を道案内するようにと八咫烏が天よりつかわされ、神武天皇はこの八咫烏に導かれて進みながらその道中で立ちはだかる敵を征伐しついに畝傍山(うねびやま)の東南、橿原(かしはら)の地で初代天皇に即位されるのです。この日は現在建国記念の日(二月十一日)として、祝日となっています。
カラスというと現在ではあまり良いイメージを持たれませんが、本来、わが国では神さまにお仕えするたいへん頭のよい鳥として童謡にも歌われ、人々に親しまれてきました。
サッカー日本代表も、八咫烏のエンブレムを胸に、世界の強豪チームを相手に活躍しているのです。
われわれが暮らす現代と神々の時代とはこのようなところでも繋がっているのですね。
ちなみに国見高校の寄宿舎鳥兎寮はこの神社の名をつけています。
鳥兎神社 _____
▼ 拝殿内部 ▼![]() |
▼ 幣殿内部 ▼![]() |
いつものように二人の孫娘の健よかなる成長と両親の健康を願って…
拝殿に入り建物の電気をつけさせて頂き中をパシャリ! 後で思うと拝殿の中から外を見るカットの撮影をしていませんでした…
出ると今度は拝殿に向かって左側の方へと回り込みます。すぐ改築記念碑がありました。
拝殿・本殿の周りには杉の神木がありその伸びた先を見るために上を見上げてしまいます。
また、本殿の後ろには石段が設けられているので是非上て見て下さい。
石段を上った所には大小の不動明王の像と神武天皇像があります。
さらに回り込んで行くと石祠があるのでせっかくなのでそちらも見て頂けると幸いかと思います。
末社:岩下神社
▼ 海龍 ▼![]() |
▼ 石像 ▼![]() |
鳥兎神社の拝殿に向かった時の左側に小さな池が見えています。その周りには結構大きな岩の上に海龍の石碑。
また少し離れた場所に石像があり今回は赤い帽子の前掛けのようなモノを着ていました。
また数m離れた所に水神の石碑もありました。
小さな池があり奥には岩下神社があるので回り込んで正面から紹介します。
木で出来た鳥居の神額には「岩下神社」とありました。
社殿の後ろ側へと回り込むと少し高い場所に石祠と石像がありますので行かれた場合忘れずに見て頂けるといいかなって思います。
▼ 岩下神社 鳥居 ▼![]() |
▼ 社殿内部 ▼![]() |
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