春の高城神社
諫早市高城町 高城神社
諫早家初代龍造寺家晴公が祭神として祀られています。明治15年(1882)に高城神社として創建されましたが昭和32年(1957)の諫早大水害で大破し昭和35年(1960)に現在地に移築されました。
諫早市が諫早家から高城跡を譲り受け諫早公園として整備。その山頂にある高城明神を「古宮さん」と呼ばれここ高城神社は、「新宮(しんみや)さん」と呼ばれているそうです。
桜が過ぎてツツジの時期になりココ諫早公園そばにある高城神社に来てみました。
場所:Googleマップ
▼ 阿形玉持ち狛犬 ▼![]() |
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
道路に面した明治十五年(1882)建立一の鳥居。神額は「高城神社」です。
その前に縁起がいいとされている「尻あがりの狛犬」という形状の狛犬が鎮座。左に玉を口にくわえた阿形の狛犬と右に吽形の狛犬となります。
▼ 道路から境内 ▼![]() |
▼ 二の鳥居横の手水舎 ▼![]() |
今日は何かあったのか駐車場には車がいっぱいでスーツ姿の人が何か話し合っておられました。最初躊躇したのですが遠回りに手水舎の方へと歩いて行きパシャリ!
手水鉢の中には花が飾られていましたよ!
階段を上ると目の前には拝殿があるのですがまずは左横にある若杉霊神を祀る石碑を紹介。
寛延三年(1750)佐賀藩の圧政に耐えかねた農民の決起に高杉春后は72歳の高齢であったが先頭に立ち幕府に訴えようとした。しかしこの行動は藩の知る所となり春后等は捕らえられ処刑されました。17年後の明和四年(1767)に佐賀藩祖鍋島直茂公の150年祭の供養という名目で没収していた四千石を返還。第十一代領主茂図公は春后の遺徳をたたえ若杉神社を建立。
また表義碑は昭和十五年(1940)、諫早教育会が春后を偲び建立したものである。
▼ 若杉霊神 ▼![]() |
▼ 若杉霊神の案内 ▼![]() |
拝殿に入ろうかなと思っていたら巫女さんっぽい人が入って行ったのでちょっと行きづらくなりました。とりあえず孫娘の成長を願って… パンパンっと!
赤い旗がたくさん並んでいました。手前の鳥居の神額には「正一位守護大明神」とあり奥の鳥居には「正一位鶴森稲荷大明神」となっていました。
▼ 鶴森稲荷神社 ▼![]() |
▼ 神額「正一位守護大明神」 ▼![]() |
少し離れた所には平成五年(1993)建立の大鳥居がありました。神額には「鶴森稲荷神社」