霊丘公園を散歩
霊丘神社
今年は例年より3週間以上早く梅雨入りし雨が続いていましたがこの日は晴れて暖かい日でした。朝から軽く霊丘公園を散歩します。まずは霊丘神社から紹介。
国道251号線の島原税務署の信号から海側へと少し入った所に霊丘神社の参道入り口となります。神社へと参拝される方はここから入り境内の駐車場へ。
参拝以外の方は霊丘公園の駐車場をご利用ください。
霊丘公園:Googleマップ
▼ 一の鳥居 ▼![]() |
▼ 県社の石碑▼![]() |
県社とは旧制度の神社の社格の一で県から奉幣した神社という意味があります。明治三十五年建立の一の鳥居。神額は「霊丘神社」 すぐ横に車が境内へと入れる舗装された道がありますが鳥居を潜って先へと進んで行きます。
私は公園の駐車場へ車を停めて回り込んでこちらからHPでの紹介とさせて頂いています。
境内に入って行くとかすれて読みにくくなっていますが霊丘神社の由緒や祭典の日付が書かれた案内が用意されています。
都合が合えばそのお祭りを見に来てみてはいかがでしょうか?
明治十六年建立の二の鳥居。神額は「霊丘神社」 手水はコロナウイルス感染予防のため使用できないようにビニールロープが張られてその案内がされていました。
その後ろには明治維新百年記念碑や平和祈念之碑などがあり拝殿への階段の右側には皇居勤労奉仕100回達成の時に建立された皇居奉仕至誠之碑があります。
▼ 各種記念碑 ▼![]() |
▼ 皇居奉仕至誠之碑 ▼![]() |
10段ほどの階段を上ると拝殿となります。九州では珍しいとされる家康公がご祭神の霊丘神社です。
向かって右側にお札やお守りの授与所があり右側には絵馬掛け所、おみくじ結び所が用意されています。
孫娘の健よかなる成長を願って… 参拝を済ませて戻って行きます。
▼ 拝殿前の狛犬 ▼![]() |
▼ 拝殿側より鳥居 ▼![]() |
二の鳥居の左右に末社があり拝殿へ向かって左側に蚕霊神社、そして右側に潜龍園神社があります。明治時代に島原半島で養蚕業が盛んだったという事が関係しているのかもしれません。
▼ 末社 蚕霊神社 ▼![]() |
▼ 末社 潜龍園神社 ▼![]() |
潜龍園神社の前には手水舎もありますが水は流れていません。拝殿の前には一対の狛犬。右側の狛犬の顎が破損しているのが残念です。
拝殿の中には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるよりまされり。」と続く徳川家康の遺訓が額に飾ってありました。
満島稲荷神社
▼ 千本鳥居 ▼![]() |
▼ 遊具コーナー ▼![]() |
霊丘神社を出て正面には池があります。左手には原爆殉難者乃碑があり毎年8月9日には慰霊祭がい粉われています。
池で甲羅干ししている亀を見ながら右手へと進むと霊丘公園の遊具コーナーがありその近くに満島稲荷神社の千本鳥居です。
霊丘神社の末社と言っていいのかよく分かりませんが近くにあるという事は事実です。
▼ 社殿 ▼![]() |
▼ 社殿内 ▼![]() |
社殿はとても傷んでおり軒下から上を見ると瓦が見えます。また建物内の床が落ちている箇所もあります。
去年8月に見た時はまだ整っていた神棚付近のいろんなモノがまとめて小積みされている状況でした。
何か手を打たないとこの神社消滅って事になりかねない状況ですね。
豊田稲荷・大川稲荷 神霊
▼ 隣の小山へと ▼![]() |
▼ 石祠 ▼![]() |
満島稲荷神社から少し戻ると公衆トイレがありその後ろには隣の小山へ上る階段があります。一本の赤い鳥居が目印になるかと…
上った先の右側には赤い鳥居と石祠。昨年までは二本あった鳥居ですが残念な事に今は一本となっています。鳥居の残骸が木の陰に置かれていました。
石祠のご神体に書かれている文字は読めませんでした。
▼ 社 ▼![]() |
▼ 社内の石祠 ▼![]() |
社前にある石灯篭には文化十五年(1818)の文字。社内の石碑の前に小さな鳥居は昭和四十四年(1969)とありました。
こちらの社も壁がはがれて向こう側が見えている状態です。神体を見ると豊田稲荷・大川稲荷 神霊と書かれています。
また近くの階段側に二つの石祠があります。中には特にご神体とみられるモノはありません。
なんでもですが維持していくには労力とお金が必要なんですよね。
寄付された遊具
▼ 小山側から遊具 ▼![]() |
▼ 遊具の説明 ▼![]() |
グラウンド側へと降りていくといくつかの遊具が見えて来ます。これは平成十二年に結婚50年の記念のお礼として吉田夫妻が市に寄贈された施設です。
ジャングルジムはロープが張られて使用できないようになっていました。過度に危険といって制限するのはいかがなものなんでしょう?
多少のけがの中から学んで出来る出来ないを個人的に判断する場が色んな所で失われているような気がしてなりません。無菌室で育った人が菌に対してどうなるかを考えると分かるような気がしますが…
霊丘公園 グラウンド
この日は日曜日という事もありグラウンドでは年配の方のスポーツ大会が行われていました。ゲートボール?っぽい奴で正式名称はよく分かりません。
南側を通って海側の小山へと向かいます。昨年ですかね?屋根を修理していた土俵が右手に見えて来ます。ここで気が付きましたが相撲の練習部屋も寄付された遊具側にあったのですが撮影するのを忘れていました。
島原護国神社
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小山へと上ると塀に囲まれた島原護国神社があります。私が子供の時はお城があるって思っていました(笑)
塀の中には境内左から奥羽役殉難之碑、殉国者三神霊の石祠そして忠魂碑があります。後ろの塀沿いに名を書かれた石が並べてあります。
二年程前でしょうか?そばの木が折れて塀が破損していますが現在もそのままの状態。
外側にはロープが張られて近寄れないようにされたままで少し残念ですね。
海側へと行くと有明海が一望でき左手に長浜海岸、右手は島原海浜公園の灯台が見えてベンチに座りのんびりとした時間をお過ごし下さい。
海側小山の外周沿い
▼ 海に出た所 ▼![]() |
▼ ホテル南風楼 私有地 ▼![]() |
もと来た階段を下りて公衆トイレを越え狭い道を30m程進むと海に到着。十分歩ける道がありますがここを通るのは久しぶり~
海に出て右手は南風楼さんの私有地になり入る事は出来ません。昔はこの海沿いに南風楼の水温が低いプールがあり泳ぎに来ていたことを思い出します。
少し進むと正面には長浜海岸が見えて来ました。潮は満ちた状態の時です。干潮の時は結構近くまで砂浜が迫って来て短い所では10m未満の距離になりますよ。
島原市立温水プール
末っ子が小学生時代の10年近く前に入ったのが最後でしょうか… 今調べると一人1時間150円となっています。
料金が変更になる事も予想されますので詳しくは下記でご確認下さい。
有馬武道館
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温水プール横から有馬武道館へと入って行きます。レスリングや柔道などが出来る施設です。長女・長男は柔道をしていたので大会で来ていました。
そして正門からいったん出て写真撮影。さらに戻って駐車場側から体育館方面へと…
以前テニスコートがこの場所にあった時の観客席がそのままの状態で残されています。
島原市霊丘公園体育館・弓道場
併設された形で弓道場が新設されました。フェンスがありよく見えませんが観客席前にはツツジが植えられているようです。
そして公園内を通る道を越え神社裏側を進むと木造の弓道場があった場所に建物がつくりかえられ復活しています。こちらでも練習している姿を見る事がありますよ。
この横にも40台ほどの駐車場が整備されていますが体育館を使う大会がある時は満車になるんですよね。
そういえば機関車を撮っていなかったと遊具コーナーの所まで進みます。その時に同じくテニスコートも写していませんでしたが側の木を写していたので… テニスコートの投光器が少しだけ写っています(笑)
昭和24年5月25日天皇陛下が御来島の折、お召列車の牽引車として重要な役割を果たしたC.12型車とは同型車である。との事…
近くに寄られた際はこの機関車もご覧下さい。