桜と霊丘神社
霊丘神社
明治の中頃、島原藩主松平氏七代の霊と近隣の宗像神社また稲荷神社を合祀し現在の名称である霊丘神社となったようです。
神社の周りは霊丘公園として体育館、グラウンド・テニスコート等のスポーツ施設。
またブランコなど遊具が置いてある中央児童遊園が整備されており市民に親しまれています。
▼ 一の鳥居 ▼![]() |
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▼ 令和2年 人生儀礼早見表 ▼![]() |
今回の記事は桜がメインなので出来るだけ桜と共に霊丘神社を紹介していきます。 記事を作っている時に決めたのですが行った時にテーマを決めていたらよかったと後悔。
今年の儀礼早見表が拝殿前にありました。ご自身また縁者の方への挨拶などにお役立て下さい。縦画像です。 |
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① おみくじ結び所 ② 吽形狛犬 ③ 阿形狛犬 ④ 狛犬と拝殿 |
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▼ 拝殿内 ▼![]() |
参拝し拝殿に入れたのでお邪魔することに!
考えてみると霊丘神社の拝殿にはあんまり入った記憶がないんですよね。
昭和天皇の写真などが飾られていました。 |
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末社 潜龍園神社
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神社の境内にある小さな社は末社神社と呼ばれています。 霊丘神社の二の鳥居の向かって右側に赤い小さな鳥居があります。神額は潜龍園神社。桜の枝が写るよう少し遠景で。 残念ながら阿形の狛犬の顎が損傷してない状態。 |
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末社 蚕霊神社
明治時代に島原半島で養蚕業が盛んだった事もあり蚕霊神社として祀られているのだと思います。
白い鳥居の神額は蚕霊神社。 本当に小さな祠です。 |
▼ 白い鳥居 ▼![]() |
稲荷大明神
末社 満島稲荷神社
霊丘神社一の鳥居横にある中央児童遊園と池の間に千本鳥居が続いている小道があります。
コンクリート製の赤い鳥居で結構沢山続いているのですが古く社の屋根床や壁等がはがれかけており厳しい状態のようです。神社の由来が書かれているものもかすれており読めない箇所が沢山ある状態になっています。
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① 千本鳥居 ② 満島稲荷神社の由来 ③ 神棚 ④ 社 |
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豊田稲荷・大川稲荷 神霊
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満島稲荷神社の千本鳥居の途中から10m程入った所にある赤い鳥居。階段を上った所の広場には桜が咲いています。 ここの社も少し残念な状態です。石祠の中のご神体を見ると豊田稲荷、大川稲荷 神霊と書かれていました。 石祠前の小さな鳥居は昭和四十四年奉納とあります。 |
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側にある石祠
▼ 赤い鳥居と石祠 ▼![]() |
▼ 石祠近影 ▼![]() |
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二本ある赤い鳥居と石祠の中にあるキツネで稲荷神社だと思いますがご神体の文字が読めずよく分かりません。
すぐ近くにある階段を少し下った所にも石祠が並んで有りました。 |
島原護国神社
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海側の小山へと向かいます。土俵に足場が組まれており何やら工事が行われているようですね。グランドの桜が奇麗でした。
階段を上るとお城の塀のように囲われた神社が島原護国神社です。霊丘公園内にあるのですがこれも末社と言えるのかよく分かりません。 |
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そして左側に奥羽役殉難之碑、右側に忠魂碑があり松の木が折れて塀が破損したままの状態が私が知る限り2018年7月よりそのままですね。 |
▼ 殉国者三神霊の石祠 ▼![]() |
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海側にあるベンチに行くと有明海が一望できます。そして眼前左側には長浜海岸があり右側には島原海浜公園を見る事が出来ます。
ここで穏やかな時間を過ごしてみるのもいいかもしれません。
▼ 長浜海岸方面 ▼![]() |
▼ 島原海浜公園方面 ▼![]() |