二本木神社と供養塔
島原市北門町 二本木神社
”肥前の熊”と異名をとった戦国武将、龍造寺隆信が島津・有馬氏との戦い敗死。
その霊を慰めようと小祠を建て霊を祀り、二本木様と仰ぎ厄除けの神としてたたえて来たのがここ二本木神社の始まり。
境内はそれほど広くなく衛星写真で見ると30m×40m程度の広さでしょうか?
車数台停める程度の空き地があるのでそこに停めて参拝しました。
▼ 神額「二本木社」 ▼![]() |
スポンサードリンク |
▼ 境内 ▼![]() |
昭和八年建立の鳥居の神額には「二本木社」となっていました。
拝殿の戸は閉まっているので窓越しに中を撮影です。 |
|
|
▼ 本殿 ▼![]() |
本殿の横には水神などの石碑とお稲荷さんだと思いますが白キツネの置物がある石祠また石像が沢山並べられていました。
まだ一月という事もあってか草もあまり生えていませんでしたが夏場は草が生えて蚊が多くいるので注意が必要です。 |
|
|
境内には白い木のベンチが二ヵ所に設置されていますが現在崩れており座れる状態ではありませんね。石祠群から少し離れた道沿いにも石灯篭付きの石祠がありました。
▼ 奥から見た鳥居方面 ▼![]() |
▼ お稲荷様? ▼![]() |
龍造寺隆信の供養塔
▼ 国道からの入り口 ▼![]() |
二本木神社から直線だと200m程離れた沖田畷古戦場跡(龍造寺隆信供養塔)
入り口には標識が立ててありますが狭い道なので南高貨物自動車(株)の敷地を通っている感じになります。 Googleストリートビュー もちろん駐車場はないので二本木神社から歩きで向かいます。 |
10m×5m程度の広さでしょうか?それほど大きくなくひっそりと残されています。
この供養塔はこの土地にあった祠129個を一ヵ所にまとめて昭和4年5月に建立したものだそうです。 菊の花がお供えされていました。 |
![]() |
|
|