南島原市布津町 熊野神社と天満宮
熊野神社
布津町テニスコートの側にある熊野神社。島原方面から行くテニスコートを越えてすぐの信号機を右折。
100mほど行くと天満宮の鳥居が見えて来ますがそこを越えて50m程で熊野神社。3台ほど停められる駐車場があります。
トップの画像は天満宮の鳥居付近から写した熊野神社の二の鳥居になります。
▼ 一の鳥居神額(縦画像) ▼![]() |
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▼ 石橋 ▼![]() |
この神社は地図で調べて初めて寄ってみました。
一の鳥居の神額は「熊野神社」で二の鳥居は「熊野宮」となっていました。
どちらの鳥居も建立年は刻まれていないようで分かりません。 |
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▼ 神額「熊野宮」(縦画像) ▼ |
階段を上ると小さ目の丸みを帯びた狛犬が鎮座していました。
現地狛犬の由来によると… 享保20年(1735)奉納され寛政4年(1792)の普賢岳噴火に伴う津波にも流される事なく後世、津波からの守り神と伝えられたものだそうです。 |
▼ 狛犬の由来 ▼![]() |
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ここの手水鉢には由来があるようで手水鉢正面と手水舎の側面の二か所に由来が書かれていました。 こういった説明があると簡単に神社やそこにあるモノの年代や歴史が分かるのでありがたいですね。
天保6年(1835)青年30名が島原半島を巡礼喜捨を仰ぎその浄財で奉納されたとの事。 |
▼ 手水舎 ▼![]() |
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▼ 拝殿 ▼![]() |
昭和14年奉納された拝殿前の狛犬はどちらも玉があります。珍しいなと調べてみました。
玉を足で押さえている…運気がよく転がるようにという事で縁起が良い 阿形…正しく事だけを話すという意味合いが玉を咥える事でさらに人を惑わせるようなことは決して言わないと言う意味合いがあるそうです。 |
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拝殿の扉は閉められており戸のガラス越しに中を撮影。
鈴や賽銭箱も中にあるしお参りはそうずるんでしょうかね?
▼ 石碑と絵馬掛所 ▼![]() |
また石灯篭の残骸?らしきものが並べて展示されていました。 逆側に周ると鳥居の柱のようなものまであり物持ちの良い神社ですね。 |
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境内の一角に何やら丸いものと説明文がありました。
大正10年(1921)佐世保鎮守府に保管してあった日露戦争の大砲台跡だそうです。
▼ 大砲台跡 ▼![]() |
▼ 説明文(縦画像) ▼![]() |
来る時と違う道(スロープ形状)で車の方へと歩いて行くと何やら石碑らしきものが。近寄って見ても文字は書いてなかったのですが台座には何やらお金を記したものが…
大正13年(1924)建立とあり200円の寄付もあるようです。
どれ位の価値なのか分かりませんが検索したあるページでは大正10年ごろ…
1円=親子丼2杯・新聞一ヶ月分
5円=大工の日当・Yシャツ1着って感じだったそうですよ!
▼ 石灯篭と石碑 ▼![]() |
▼ 台座 ▼![]() |
天満宮
▼ 道路より ▼![]() |
車は熊野神社において天満宮へとやってきました。
石で出来た立派な鳥居があり神額には天満宮。
すぐ後ろは階段で上った所に二の鳥居が見えています。 |
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▼ 二の鳥居 ▼![]() |
二の鳥居の神額は変わった書体の天満宮となっていました。
鳥居や石で出来た階段で立派な神社かなっておもって上ってみると社殿にブルーシートが…
なかなか厳しいモノ・現実がありますねぇ。 |
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瓦の散乱でブルーシートの意味が分かります。 格子の隙間から中を撮影。撮影中はよく見えなかったけど後で見ると結構荒れているようですね… 社殿の後ろはテニスコートのハウスでした。何度も来ていたのに神社があるって知りませんでしたよ。 |
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