雲仙市国見町 神代神社
神代(こうじろ)神社
南北朝時代に神代貴益により築城、戦国時代末期まで神代氏の居城となった鶴亀城の本丸跡に神社はあります。
神代小路(こうじろくうじ)重要伝統的建造物群保存地区側にあり鍋島邸などと一緒に見学するのが駐車場を含めていいのではないでしょうか?
緋寒桜が奇麗な時期を見計らって私はここに来るのも4回目になりました。( Googleマップ )
▼ 神代神社の石碑 ▼![]() |
▼ 道政院稲荷神社の石碑 ▼![]() |
道から見て最初の赤い鳥居の左右に神代神社の石碑と道政院稲荷神社の石碑があります。階段から続く参道にも石で出来た鳥居と赤い鳥居が混載して並べ建てられています。
ここでは道政院稲荷神社を末社として紹介。建物の大きさで私が判断しました…
現地案内文より一部抜粋
天正十二年三月、島原沖田畷における有馬島津連合軍と竜造寺隆信軍との戦いで濃霧に乗じて南軍は一気に北軍の本陣を急襲し隆信討死、之と同盟していた神代貴茂も深江の砦より急ぎ、この城に戻っていたが多比良まで北上して来た南軍は、この城攻めの愚(湖と泥土)を知り一計を案じて貴茂に和議を申し込んだ。単独では勝てないと貴茂も仕方なく之に応じ従者をつれて和議の場所轟城に赴き和議書に押印した。南軍は一席の宴を張り夕刻貴茂一行の帰途これを犬の馬場(今の南部落)で伏兵により謀殺(天正十二年四月六日)今も古い墓が残っている。
天正十五年秀吉は島津討伐のため、大軍を率いて九州に下向、この時鍋島藩初代直茂は、秀吉の弁許を得て旧神代家の領地を神代分藩とした・・・幕末まで二八一年間。
▼ 梅並木の参道 ▼![]() |
▼ 神社案内の石碑 ▼![]() |
緋寒桜はまだ少し早く、梅には少し遅かった感じのこの時に神代神社へとやってきました。なんだか草を刈っている?木の枝を折っている?的な音が聞こえているのですが人の姿は見えません…
そろそろ誕生して二ヶ月となった孫娘の健やかなる成長を願って… 出産の為里帰りしてきた娘もあと一週間ほどで戻って行きます。孫娘に直接会う事もなかなか難しい距離なのでしっかり神様にお願いしなければ(笑)
▼ 鳥居 ▼![]() |
▼ 拝殿 ▼![]() |
拝殿の横から後ろへと進むと本殿があります。その拝殿と本殿の間に幣殿は無く石灯篭が四基あるという少し変わった構造に見受けられました。
本殿の階段の上には御神酒でしょうかね!? カップ酒がお供えされていましたよ。
神代神社境内の塀を越えた所に何やら石碑があるようです。捨てられた鳥居の残骸を越えて置くへと進んで行くと平成二年(1990)に建てられた神代貴茂公顕彰四百年祭歴史記念塔がありました。
▼ 境内の右側奥に… ▼![]() |
▼ 歴史記念塔 ▼![]() |
道政院稲荷神社
実際はこちらの稲荷神社を先に参拝したのですがHP制作上、主である神代神社を先に紹介しています。
▼ 由来 ▼![]() |
▼ 拝殿 ▼![]() |
碑文によると平成19年(2007)に改築されたようです。祭祀が決まった日にあるのならそういったことの案内があるとそれに合わせてくる事が出来るのですが…
もっと花が奇麗な時期に合わせて来れる事が有ったらいいんですけどね。
▼ 本殿 ▼![]() |
▼ 改築記念碑 ▼![]() |