平田神社
島原市下折橋町 平田神社
島原総合運動公園から、がまだすロード島原IC方面へと続く道沿いに雲仙自動車学校の看板の横に赤い鳥居が見えているのでそれが目印。
一本目の千本鳥居で平成拾年とあります。
鳥居の前に詰めて車二台ほどおけるスペースがありますのでそこを利用して平田神社へと向かいます。
(記事作成時マップに載ってないので)
道路傍の赤い鳥居の後ろの階段を10mほど上ると石でできた立派な鳥居が見えてきます。
大正六年(1917)建立で神額は平田神社とあります。鳥居の横から山側へと続く道(倒木が見えていますね)と鳥居を潜って進む道とに分かれています。
通常通り鳥居側へ進む参道を歩く事にしますよ。
今回は赤い千本鳥居も全部写していこうと思っています。木ではなく石というかコンクリートでできているようです。
二本目は昭和四十六年と刻まれています。越えてすぐ左に石祠がありました。その手前の石碑には草で隠れてはっきり分かりませんが「南無妙法蓮華経」と書かれているようです。
三本目は昭和四十一年建立で四本目には「三月初午」としか書かれておらずできた年が分からない状態でした。
▼ 昭和四十六年建立 ▼![]() |
▼ 昭和四十一年建立 ▼![]() |
▼ 三月初午 ▼![]() |
三本目を超えた所の左側に物置小屋があり扉は倒れかけている状態。
五本目が昭和四十一年で、六本目が昭和六十一年とありました。一本目から四本目まで文字は刻まれていましたが五本目は書かれているという違いがあります。
▼ 物置小屋 ▼![]() |
▼ 昭和四十一年建立 ▼![]() |
▼ 昭和六十一年 ▼![]() |
六本目を越えると左右に建物があります。
まず左側の建物は真ん中に壁で区切られておりその左側にある石碑には三九郎稲荷大明神と書かれています。また右側には不動明王の像と仏像が神棚にありました。
▼ 三九郎稲荷大明神 ▼![]() |
▼ 不動明王と仏像 ▼![]() |
右側の建物は社務所のようでその一角を利用した場所に鈴があります。
奉納幕には平成二十六年(2014)とあり結構新しいものですね。
境内の中に小ぶりな社がありそれを摂社・末社と呼ぶようですが最近は総称して境内社と呼ぶ事が多いとの事。
私も今まで末社と言っていましたがこの記事からは境内社と言う事にします。
社務所の奥側に進むと一つの境内社がありますが屋根や床を含めてとても厳しい状態となっています。
手を加えないままならそう遠くない将来は社が倒壊するのではないかと思われる状態だと感じます。
少し手前に戻り社務所横に上へと続く階段がありすぐに千本鳥居が二本見えています。
間隔が狭いのでまとめた写真で七本目が昭和六十一年、八本目が平成拾弐年と書かれていました。
社の中の奉納幕を見ると平成十九年(2007)とあります。
▼ 七、八本目の鳥居 ▼![]() |
▼ 境内社 ▼![]() |
手前の石祠には大山神とありその先の祠には満方稲荷大明神とありました。
狭く音羽が沢山の道を上って行きます。ただ千本鳥居を含めてここまで蜘蛛の巣には当たっていないので最近誰かが通っているのだと思います。
▼ 大山神 ▼![]() |
▼ 満方稲荷大明神 ▼![]() |
上りきったところで九本目の鳥居。昭和六十一年と書いてあります。
そして社前に十本目の赤い鳥居。平成拾年と書いてあります。
社の扉は開ける事が出来ました。
社内の奉納幕は平成十年(1998)とあります。提灯を含めて埃がついており掃除があまりされていない状態のようでした。
この社の後ろ側にも鳥居がありの石祠があるので来た時は回り込んで下さい。
十一番目の赤い鳥居。柱には平成拾…と書いてありますがその後が分かりません。
奥にある石祠には白狐の置物がありますが何が祭られているのかよく分かりませんでした。
下りは最初の石の鳥居傍に続く小道側へ進んでいきます。
写真のタイムを見ると17分かかっていました。
何度か来ていますがこの神社は年末位に参道を含めて掃除がされているようです。
100年以上経つ立派な石の鳥居もあり廃れていってほしくないと感じる神社。
近くを通った時はぜひ立ち寄ってみて下さい。