島原市中堀町 江東寺と涅槃像
江東寺
山門正面はアーケードとなっており車両の通行は時間制限が行われますのでご注意を!
境内には十数台分の駐車は可能だと思われます。
お盆などの時期によって白土湖側に臨時の駐車場が設けられますのでご利用下さい。
入口左側に由来書、そして右側には市の指定文化財、隠元筆扁額「獅子吼」の案内がありました。
場所:Googleマップ
その由来書には、有馬晴信の弟・宣安明言和尚が永緑元年(1558)北有馬に開山。寛永元年(1624)島原城主・松倉重政はここを菩提寺と定め江東寺と社名を改め現在に至るとの事でした。
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20m程進み山門前には左右に石像が多数並んでいました。
山門の神額には「江東禅寺」とありました。
▼ 十徳延命地蔵 ▼![]() |
▼ お堂 ▼![]() |
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山門を潜りすぐ右側にお堂、その奥には十徳延命地蔵があります。
またその横には釣鐘があります。この建物って鐘櫓って言うんでしょうかね?
またさらに横に 観音堂があります。 |
観音堂の内部を見ると沢山の「南無観世音菩薩」と書かれた提灯が飾られています。
お堂のすぐ左側に逆光になって分かりずらいのですが水子地蔵があります。
足元には多数の子供が遊んでいるような配置となっていました。
涅槃像(ねはんぞう)
江東寺本堂の右側3~40m程度でしょうか?小山があるのでそこを目指します。左右に石碑?門?がある階段を上ります。
上った場所の左側から紹介していきます。
▼ 板倉重昌の墓 ▼![]() |
▼ 松倉重政の墓 ▼![]() |
板倉内膳正重昌公墓
三河国中島城主、島原の乱幕府討伐軍の総帥。寛永十五年(一六三八)正月元旦、自ら陣頭に立ち、一揆軍の弾丸に当たって戦死。五十一歳当寺に旋いて火葬に附し祭る。
松倉豊後守重政公墓
島原城築城の主、当寺の開基、松倉重政公が城を島原に移すに従って当寺も北有馬から島原に移り松倉氏の菩提寺となる。寛永七年十一月十六日躾享年五十七歳
全身8.6mあります。涅槃(ねはん)とは煩悩の火を焼きつくして智恵が完成した悟りの境地を指す言葉でありまた釈迦の入滅を表現する言葉としても用いられているとの事。
足の裏には、大法輪の相(仏足石)が刻まれています。
▼ 足裏の紋様 ▼![]() |
▼ 眉山 ▼![]() |
▼ 本堂方面 ▼![]() |