しまばら ふるさと日記
江東寺 ねはん像
しまばら ふるさと日記 > 神社・寺・教会 > 島原市中堀町 江東寺

島原市中堀町 江東寺

2019年10月18日 公開

江東寺

江東寺

 島原市一番街アーケードに正面の入り口があります。裏側から入り境内にスクーターを停めて正面入口にに伺った時に手を合わせてお祈りされているお母さんがおられました。

 

 有馬晴信の弟・宣安明言和尚が永緑1年(1558年)北有馬に開山。寛永1年(1624年)島原城主・松倉重政はここを菩提寺と定め江東寺と社名を改め現在に至りました。

 

 

▼ 江東寺由来書 ▼江東寺由来書

スポンサードリンク

 

 

江東寺

① アーケードより山門

② 山門右側の石像

③ 山門左側の石灯籠と石造

 ④ 江東寺 山門

江東寺 山門

江東寺
江東寺

 

 

▼ 釣鐘と十徳延命地蔵 ▼江東寺 釣鐘

 山門をくぐると右側に大きな釣鐘の建物が見えます。その右側に十徳延命地蔵。

 

 すぐ側に観音堂が有りますが扉が閉まっており中がどうなっているのか分かりませんでした。

 

 その横には水子地蔵がありました。

 

▼ 観音堂 ▼江東寺 観音堂

 

▼ 水子地蔵(縦画像) ▼江東寺 水子地蔵

 

 

江東寺本堂(正面より)

江東寺 本堂

 

 

 

涅槃像(ねはんぞう)

 昭和32年(1957年)板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために涅槃像を建立。足の裏に大法輪の相が日本で最初に刻まれているとの事。

 この涅槃像の台座は歴代住職の納骨堂となっています。

 

▼ 涅槃像 ▼江東寺 涅槃像 ▼ 足裏の紋様 ▼江東寺 涅槃像

 

 

 

板倉重昌と松倉重政の墓

▼ 松倉豊後守重政公墓 ▼江東寺 松倉重政の墓

 寛政4年(1792)の噴火災害で流出した墓を文政11年(1828)に再建されたものです。

 

 半分にかけている墓石が最初の墓で災害の復旧時に掘り出されたものになります。

 

▼ 正面より ▼江東寺 松倉重政の墓

 

▼ 墓石が最初の墓 ▼江東寺 松倉重政の墓

 

 

▼ 板倉内膳重昌公墓 ▼江東寺 板倉重昌の墓

 寛永十四年(1637)島原の乱鎮圧の上使として派遣。同十五年に戦死した板倉重昌の墓は寛永四年(1792)の眉山崩壊で土中に埋もれ行方不明。

 

 文政五年(1822)井戸を掘っていた地中から発見されて現在に至っています。

 

▼ 近寄って ▼江東寺 板倉重昌の墓

 

▼ 現地説明案内 ▼江東寺

 

 

江東寺

 地元、島原の歴史上重要な「島原の乱」に関わった二人はさらに「島原大変」と言われる雲仙岳の噴火に伴う眉山崩壊に関わっています。

 

 そういった歴史を思いながら島原にお越しの際はここ江東寺へと来てみてはいかがですか?

 

 

 

公園 / 遊歩道

施設

寺 / 神社 / 教会

スポーツ関係

記念碑 / 慰霊碑 / 銅像他

場所 / モノ / 動物 / その他

眉山 登山 動画 機関車 雲仙普賢岳 噴火災害 自衛隊 平成新山 まゆやまロード 子守歌 オーシャンアロー 花火大会 イルミネーション 足湯 ダチョウ 遊学の里 眉山の森 北村西望 アヒル フェリー 三小 秋桜まつり ひまわり 杉の元スギ 七面ケヤキ シマバライチゴ 変な木 秋祭り 島鉄 日時計 白土湖 一枚岩 鮎帰りの滝 別所ダム おしどりの池 宝原つつじ公園 雲仙 仁田峠 紅葉 地獄 島原鉄道 朝焼け 沖田畷 初日の出 七万石武将隊 消防出初式 福屋 レトロ看板 積雪 保存樹 元池 灯台 堤防 ひなめぐり 鰐口 音無川 島原初市 水無川 春の花まつり 千本木展望所 山の神サクラ 地蔵 多目的広場 みらい館 ツツジ 水車 鴛鴦の池 白雲の池 石棺 マリンパークありえ 長浜海岸 眉山中継局 戸の隅の滝 展望台 不知火まつり 銀水 諏訪の池 眼鏡橋 原城 世界遺産 日野江城 龍石海岸
...

 スポンサードリンク

 

 



キーワード


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。