江東寺・涅槃像
江東寺
_____
江東寺はもともと、永緑1年(1558年)有馬晴信の弟・宣安明言和尚が北有馬・田平に開山しました。
その後、新城主・松倉重政が島原城を竣工させると、その地を城下町郊外の今村に移し、寛永1年(1624年)新城主・松倉重政はここを菩提寺と定め江東寺と改められました。
引用 島原市 _____
江東寺自体には何度か来た事がありましたが涅槃像を直接目の前で見たのは今回が初めてです。地元にいるとわざわざ見に行くって事はしないんですよね。涅槃像前にそれほどスペースがなく写真撮影がしにくいかなって思いました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
藩主 松倉豊後守重政の墓
ねはん像を見に階段を上って来たら「藩主 松倉豊後守重政の墓」と目の前にあり?? 帰って調べたらねはん像自体が板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立とあり意味が分かりました。
松倉重政は島原城築城で領民から過酷な搾取を行いさらに検地で領内の石高を実勢の倍近くに見積もって領民の限界を超える税を取り立てて 島原の乱 のきっかけをつくった人なんですよね。
涅槃像(ねはん像)
全身8.6m・高さ2.12m 鉄筋コンクリート造り涅槃像としては日本最大
![]() |
![]() |
カトリック島原教会
ねはん像の松倉重政との関連もあり場所も近く写真を撮ったので同じページで紹介します。
島原半島のキリシタンは、藩主松倉重政とその子勝家の過酷な迫害と農民がおこした島原の乱で根絶やしにされたとの事。1902年頃から島原半島の宣教が開始されて教会も戦争などの為、何度か移転の末1953年現在の場所へ。その後1997年に現在のドームの教会が建てらています。
教会前の県道反対側からの写真とさらに遠く白土湖緑道公園からの遠景写真です
![]() |
![]() |