龍馬、長崎初上陸の地がなくなる?!
坂本龍馬は島原から長崎へ
幕末維新の立役者として有名な土佐藩脱藩の坂本龍馬は初めて長崎県に来たのは私の地元島原の地だったそうです。
2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて観光PR用の看板などが整備されました。
教科書から坂本龍馬の名前が消えそうという話もびっくりしましたが2018年2月10日付の西日本新聞によるとこの上陸の地が埋め立てられるとの報道は驚きました。
_____ 明治維新の立役者、坂本龍馬の「長崎上陸の地」とされる島原市船津地区の船だまりが、来年度から市が行う埋め立て工事で消えようとしている。工事は有明海の高潮による住宅地の浸水被害を防ぐためだ。今年は明治維新から150年。龍馬については、教科書からの掲載除外を提案する動きがあるだけに、島原の関係者からは「偉人ゆかりの地を残してほしい」との声が聞かれる。
~ 省略 ~
同地区は海抜が低く、大雨などで船だまりから海水があふれる事態が頻発。台風16号が襲った12年9月には床上浸水74戸、床下浸水182戸の被害が出た。市は水害防止のため、総事業費2億7200万円を投じて約4500平方メートルの船だまりを埋め立て、19年度をめどに多目的広場を造ることにしている。 引用 2018年2月10日付 西日本新聞 _____
島原市船津地区 埋立地
▼ 上陸地点 ▼![]() |
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派出所跡に「龍馬伝」放送の翌年である2011年位までパンフレットや写真などが飾られていました。外には龍馬館と看板はありますが現在、室内にチラシが2枚ほど貼られているだけです。
埋め立てられる前に写真で残しておこうと天気がいい日に伺いました。
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① 上陸地点から海側(東側) ② この道を100m程で島鉄、南島原駅 ③ 少し東から上陸地点と水路 ④ 奥が水路にかかっている橋 |
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① 歩いて行くと駅が見えます ② 振り返り歩いた道のり ③ 島原鉄道 南島原駅 ④ 埋立地を眉山と共に |
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今度は戻って先ほどの撮影地点を写しています。
▼ 新地橋 ▼ ![]() |
▼ 橋からの船だまり ▼![]() |
▼ 龍馬上陸方面 ▼![]() |
▼ 南島原駅方面 ▼![]() |
_____ 追記 令和2年(2020)3月6日
▼ 埋められた上陸地点 ▼![]() |
▼ 案内板 ▼![]() |
この記事を書いていたのが2018年2月の事でした。近くにある島鉄の駅名が「南島原駅」から「島原船津駅」と変わりそしてここでは埋め立てが行われています。
少しずつ変わっていく風景が私も歳を重ねているのだなと思ってしまいますね。
追記ここまで _____
サムライブルー龍馬像
坂本龍馬つながりで復興アリーナにあるサムライブルー龍馬像を紹介。
財団法人日本サッカー教会並びにアディタスジャパン株式会社の好意により平成22年島原に寄贈されました。
詳しくは 復興アリーナ のページで!
▼ 龍馬像と平成新山 ▼![]() |
▼ 龍馬像と眉山 ▼![]() |