眉山展望台と大紀式大明神
眉山展望台
がまだすロード島原外港IC側にある眉山展望台。ここを通る時に標識をいつも見ていたのですが車の進入は出来ずまた停める所もないのでスルーしていました。
今回スクーターで通ったので入ってみる事にします。右の写真の場所から100m程進んだ所、がまだすロードと同じ高さの所に展望台が出来ていました。
高規格道路からの退避道路って感じなんでしょうかね!?
場所:Googleマップ (名称は眉山観測地となっています)
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少しずつ上って行くと展望台が見えて来ました。快晴とまでは言えませんが青空の中、正面に眉山が見えています。 |
島原半島世界ジオパークのパネルがありいろいろな説明文が書いてあります。
1972(寛政4)年2月、雲仙・普賢岳が噴火し、山肌を溶岩が流れ下りました。その後、島原城下周辺で地震が活発となり、6月21日(旧暦4月1日)夜の2度にわたるマグネチュード6クラスの強い地震で、眉山の南側のピークである天狗山の役1/3(写真の黄色い線の部分)が大きく崩れました。周辺に見える小高い丘や森は、崩れた眉山の岩石塊でできた小山(流れ山)です。
天狗山の崩壊前、ここは海辺でした。崩壊した土砂は、最高時速150kmで有明海に突っ込み、島原半島や対岸の熊本(肥後の国)で、高さ10~20mに達する津波を発生させました。この山体崩落と津波によって、約1万5千人もの命が奪われました。
現地案内文より
大紀式大明神
場所:Googleマップ
場指定から海側方面を見ると赤い鳥居が見えるので雑草が茂っているかもしれませんがそこに大紀式大明神はあります。
この祠は明治元年に赤秀の先覚立光左衛門治八氏が京都伏見稲荷大社に詣で大神●を請願して大紀式令授典せられ強度繁栄を願って此●に祀ったものである
孫勝治氏の時難病に苦しむ婦人の懇請に應えてこれを譲った婦人はそれを自宅に移して祀り朝夕祈願をこめて難病を救われ又その子も霊験に浴している
治八氏の曽孫有馬茂氏は祖先の多々ある業績を遺しそれにこわれる精神を子々孫々に受継がせるとこそ我使命なれと考えを改めて伏見稲荷大社から大神●を受け昭和三十九年五月吉日●●●●●●
現地碑文より ●=読めなかった文字及び旧字で書体が無かった文字
▼ 稲荷大明神 ▼![]() |
▼ 大紀式大明神 ▼![]() |
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▼ 祠よりバス停 ▼ |
2018年6月に来た時は扉が閉まっていましたが今回はどちらも開きっぱなしになっていました。
以前の記事:琴平神社と二柱の大明神
小さい祠です。時間がある時見て下さい。 |
東洋九十九ベィホテルの足湯?
信号で止まった時に横を見ると足湯らしき建物があるなって思っていました。ちょうどここは九十九ホテルへの入口になる所です。
今回スクーターで通りかかったのでせっかくだしって事で寄ってみる事にしました。ぱっと見足湯だなって思って近づいて見ると施設的には足湯で間違いないと思いますが足をつける場所にお湯また水は流れていませんでした。
この日がたまたまだったのかは分かりませんでしたが… こんな所があったよって事で…
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