今村刑場跡
島原市新山二丁目 今村刑場跡
この地一帯を今村といい、島原城下町の南端で昔は海岸に沿った場所でした。
かつては往還(殿様道)が通っていて、南目(島原半島南部)の村々への出入口となっていたそうです。
この処刑場が置かれたのは島原城築城の頃からで、重罪人の首をはね、見せしめの為にさらし首としていました。また、キリシタンを厳しく取締まった藩主・松倉重政がイタリア人宣教師ナバルロ神父、大村領信者56人の処刑など多くのキリシタン信者の処刑を繰返した場所でもあります。
寛政4年(1792年)の島原大変でこの場所も一旦埋没しましたが、その後も引き続き処刑場となり、明治3年(1875年)まで使用されました。
最後の処刑者がお糸であったのでここをお糸が墓とも言われています。 現地案内文
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▼ 刑場への道沿い ▼![]() |
とても細い道沿いにある今村刑場跡です。(Googleストリートビュー)
側に駐車場もなくそういった事を考えると車で見学は非常に困難な場所になります。
近くて総合運動公園駐車場から徒歩10分程度でしょうか? |
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雲仙の地獄の名に「お糸地獄」って所があります。ここで最後にお糸が処刑された頃に噴煙を上げて来た事から名前が付けられたそうです。
すぐ隣は保育園。子供の笑い声がここで処刑された人たちの心を癒してくれていると思いたいです。
ちょうどイチョウが黄色く色づいていました。 |
▼ 南無阿弥陀仏 ▼![]() |
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