旧島原藩薬園跡 春!
旧島原藩薬園跡
薬園跡に車で来る時はがまだずロード島原ICから総合運動公園へ約500m右写真のような看板があります。
看板自体は小さいのですがその前に石垣が続いていますのでその石垣が切れて民家を2件超えた所から左に細い道があります。
駐車場は無料で大型バス2台、乗用車用10台分の白線がひかれていますがイベント時以外は満車になる事はないと思います。また見学も無料なので気楽に伺ってみて頂きたいです。
▼ 駐車場入り口の看板 ▼![]() |
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高い木と石垣が見えて車で直進50mほど左折で駐車場。(この高い木の所から左折すると薬園の正門がありますが車の駐車スペースはありません)
駐車場から正門を通らず即、薬園に入る事になります。最初ここから入っていいのか戸惑いますが歩いて入るスペースがあるのでOKなのだと思います。訊ねたわけではないのですが注意受けた事はありません(笑)
紹介は正規の入り口からか入ったものとして行います。
駐車場から薬園の中を通って行き正門から出て道路からパシャ!なんだか変な気分!?
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① 正門前の道路から山側への石垣 ② 史跡旧島原藩薬園跡の石碑 ③ 旧島原藩薬園跡関係略年表 ④ 入って建物側から |
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■パンフレットより
旧島原藩薬園のあらまし
天保13年(1842年)、島原藩・松平忠誠は、長崎で西洋医学を広めたシーボルトの高弟であった、賀来佐之を医師として招き、翌14年藩の医学校「済衆館」の薬園に薬草を栽培させました。しかし、「済衆館」の薬園は手狭な上に薬草の栽培には条件が良くなかったため、弘化3年(1846年)、眉山の麓、焼野の地に薬園を開墾させました。これが現在の旧島原藩薬園跡です。 ~ 省略 ~
この薬園も、廃藩により、明治2年(1869年)11月に廃止されています。
旧島原藩薬園跡は、幕末における小藩経営の薬草園とはいえ、全国的にもまれにみる遺構を止めた史跡であることから昭和4年に国の史跡に指定されています。
▼ 薬園に入って見る山側 ▼![]() |
▼ 入口から約20m ▼![]() |
オオアラセイトウ(一年草) 諸葛菜:三国志の諸葛孔明が出陣の時この種子をまき兵士の食料にする為栽培との言い伝え |
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タラノキ(落葉低木) 新芽を「たらのめ」「タランボ」と呼ぶ。樹皮にはトゲがある。夏に白い花。秋に黒い実。 |
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レンギョウ(落葉低木) 春を代表する樹木のひとつ。春一番に黄色い花を一斉に咲かせる。 |
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コブシ(落葉高木) モクレン科。花は3月~5月に葉が出る前に咲く。折ると芳香あり。 |
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▼ ハクモクレン ▼![]() |
▼ ハクモクレン終りかけ ▼![]() |
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① 伺った時は、お手入れ中でした ② コブシの木の下より ③ 指定天然記念物「昭和福ハゼ」の説明 ④ 島原市指定天然記念物「昭和福ハゼ」二世木(縦画像) |
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旧島原藩薬園跡 遺構
▼ 水溜遺構 ▼![]() |
▼ 金庫跡 ▼![]() |
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島原藩薬園 薬師弁財天祭壇
▼ 石祠の後ろから ▼![]() |
3月位から石垣沿いの木々の剪定というのですか?枝を切って整えられていました。横の道を通った時に木が切られている!って感じでしたね。
本日(4/2)うかがうと3~4人の方が雑草などの手入れをされていました。基本ここに来た時は誰も居ない時ばかりだったので人がいるのはある意味新鮮でした。 |