晩秋 旧島原藩薬園跡
旧島原藩薬園跡
11月下旬の天気がいい日に薬園跡に伺いました。写真の建物から職員さんがわざわざ出て来てパンフレットを頂きました。
駐車場はこの写真の入口と反対側に回った所になります。駐車場から直接薬園に入る事ができるのでこの入口は車から一番遠い場所になります。
■パンフレットより
旧島原藩薬園のあらまし
天保13年(1842年)、島原藩・松平忠誠は、長崎で西洋医学を広めたシーボルトの高弟であった、賀来佐之を医師として招き、翌14年藩の医学校「済衆館」の薬園に薬草を栽培させました。しかし、「済衆館」の薬園は手狭な上に薬草の栽培には条件が良くなかったため、弘化3年(1846年)、眉山の麓、焼野の地に薬園を開墾させました。これが現在の旧島原藩薬園跡です。 ~ 省略 ~
この薬園も、廃藩により、明治2年(1869年)11月に廃止されています。
旧島原藩薬園跡は、幕末における小藩経営の薬草園とはいえ、全国的にもまれにみる遺構を止めた史跡であることから昭和4年に国の史跡に指定されています。
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区分けして漢方処方・中国産薬用植物・林地薬草・長崎県内で栽培薬草・山野で見かける薬草など栽培されています。 シマバライチゴもあるって今気づく! 見学しているのは私一人のようですね。 |
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旧島原藩薬園 屋敷跡
写真は薬園の通路脇にある水溜遺構です。(昭和53年修復)ここでは薬草よりもこういった遺構の方が大切だとの事。
前回は薬草に目がいって遺構はあまり写していなかった事を反省ですね。
一番上にある屋敷跡に向かいます。
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金庫デカ!って思ったら3~4畳程度の部屋なんですよね。