中央公園と島鉄本社前駅
中央公園(浜の城跡)
公園の無料駐車場と言うものは無くすぐ横の霊丘公民館駐車場(公民館利用者は無料、それ以外は有料)を利用。
公園以外にも鯉の泳ぐ街の散策に利用できる有料駐車場が周りにもあるのでご利用下さい。
私のイメージでこの公園は城跡と言うよりも小学校跡のイメージが強い場所になります。
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▼ 中央公園海側入口 ▼![]() |
現地石碑の「浜の城の由来」によると…
有馬氏の一族といわれる豪族島原氏「浜の城」が築かれていたそうです。しかし天正十二年(1584)の沖田畷の戦いで竜造寺勢として戦い敗戦。島原氏はこの地を離れたそうです。有馬氏の後の領主松倉氏が島原城を築城するまでここ浜の城を拠点としていました。
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浜の城の一角は島原市立第二小学校となり昭和四十七年(1972)学校移転。 その後、中央公園となり繁華街側の公園として親しまれています。
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鯉の水辺路
島原市新町一帯は湧き水が豊富で別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれ、全長100メートルの水路の通りを鯉の水辺路として観光PRされています。
▼ 南側より(中央公園側) ▼![]() |
▼ 北側より(清流亭側) ▼![]() |
現地説明より抜粋
新町一帯は湧き水が豊富で、全長100メートルの水路があり、別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれています。
鯉の泳ぐまちは、この地域の町内会の人たちが町内を流れる清冽な水路を生かしたまちづくりと、子どもたちの豊かな心を育てるために昭和五十三年七月水路に鯉を放流したのが始まりです。
昭和六十年一月環境庁から「島原湧水群」として日本名水百選に指定。
▼ 清流亭 ▼![]() |
市内周遊観光の拠点として鯉の泳ぐまち 観光交流センター「清流亭」が平成27年4月にオープンしています。
地元の特産品の展示や観光情報収集また散策時の休憩所として立ち寄ってみてはいかがでしょうか? 開館時間 9:00 ~ 18:00 |
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島鉄本社前駅
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国道側から駅に着いたら遮断機がなり始め!下りの列車が到着しました。 1両の黄色い列車です。私が学生の時は3両編成をたまに見ていましたが最近は2両の奴をたまに見るくらいですね。 田舎で車が有ると公共交通機関はほとんど使わなくなります。 |
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踏切側の石碑と石造
▼ お地蔵様 ▼![]() |
▼ 石碑と石造 ▼![]() |
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踏切国道側の道路左右に石碑などが祀られています。 民家の塀側にお地蔵様があり逆側には交通安全の石像と津波溺死者の慰霊碑がありました。
市内には至る所にあるのですが3~40m先の国道端にお飲み湯が設置されています。 |
霊丘公園の機関車
機関車の略歴 (現地案内文より)
昭和24年5月25日天皇陛下が御来島の折、お召列車の牽引車として重要な役割を果したC、12型車とは同型車である。なお同車の走行距離は853,096,8kmで使用期間は20年有余であった。昭和43年に島原鉄道が蒸気機関車を廃止しディーゼル機関車に切り換える時点で同車は運転を中止し、車庫入りをした。
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私が子供の時からここにある機関車。 あの頃は上で遊んでいたのですが「うえであそばないでください」の注意書き有!
写真撮影はいいのかな?と思いつつも地面からパシャリ! |
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機関車の側テニスコート横にある植木元太郎像。
植木元太郎(うえき もとたろう、1857年9月19日(安政4年8月2日) – 1943年(昭和18年)1月25日)は日本の実業家、政治家。島原鉄道および口之津鉄道(のちに島原鉄道に合併)、温泉軽便鉄道(のちの雲仙鉄道)、小浜鉄道(同)を設立し、島原半島内の鉄道網の整備を進め、のち初代島原市長を務めた。号「鉄狂斎」。
Wikipediaより _____
▼ 植木元太郎像(縦画像) ▼![]() |
▼ 裏の説明文(縦画像) ▼![]() |