島原市 白土湖緑道公園
日本で最も小さな陥没湖 白土湖
寛政4年(1792)の眉山崩壊でできた窪地に多量の地下水が湧き出しできた湖。
形成された当初は現在の4倍ほどの広さがあり街道が寸断。島原藩が人夫を集め掘切作業をしその排水路が現在は音無川と名付けられています。
湧水量は日量4万トン、水温16度で水のまち島原を代表する湧水となっています。
場所:Googleマップ
いつもは右回りで散策するのですが今回は左回りで進んで行こうと思います。白土湖緑道公園のあずまやがありまた湖畔に面した少し広い場所は私が子供の頃はサイダー工場があったように記憶しています。
今回来た時は子供用の小さい靴が道路側に放置されていました。ここで遊んで履き忘れて帰ったのかな?
サキが二羽進行方向にいました。カメラを構えて近づいていくと向こう側へと飛んでいきました。
いい天気、気持ちよく散歩が出来そうです。
▼ あずまや側より南側 ▼![]() |
▼ あずまや ▼![]() |
左回り(北側)で40m程度でしょうか?道路へと出る事には猿田彦大神の石碑が二つ祀られています。結構この場所にはタクシーが停まっているのですがこの日は見当たりませんね。
10m程行くと洗い場がありその側にいくつかの石祠・石碑が並べて置いてあります。米や野菜を洗うための洗い場との事ですが最近(数年以上)通りかかった時に見た事はありません。私の遠い記憶の中ではスイカとか冷やしているのを見た事はあるのですが…
また洗い場の逆側には白土湖の案内ともう今では珍しくなってしまった公衆電話ボックスがあります。
今の人は公衆電話でテレホンカードとか使うの知らないんでしょうね(笑)
▼ 猿田彦大神 ▼![]() |
▼ 洗い場 ▼![]() |
|
|
|
白土湖は結構藻が生い茂っており定期的に清掃作業が行われています。そのための船が係留していました。そこから少し進むと目の前にサギが何かを見つめています。ジワリと近づいて行きますが… 気配を感じたのか10m程になると飛んで逃げてしまいました。
歩いて行くと俳句が刻まれた石碑があります。明治〜昭和期の長崎県出身俳人、田士英(でんしえい)の俳句との事です。
「山崩れの このかたを湧く 清水かな 田士英」
▼ 白土湖緑道 ▼![]() |
▼ 田士英の俳句 ▼![]() |
島鉄「白土」バス停があります。長い事バス自体に乗っていないなと思っていたら何年か前に長距離バスで福岡に行ったの思い出しました(笑)
さび付いたバス停の案内。上りの到着は一日4本あるみたいですね。取材時
白土湖の南端にある湖水橋。音無川の起点となる所ですね。橋を渡ると幹線道路(白土湖通り)から入った小道側へと進んで行きます。とりあえず5分の3位周ったって事ですかね!?
▼ 湖水橋 ▼![]() |
▼ 幹線道路と逆側へ ▼![]() |
結構大きい石灯篭がありここからは白土湖越しに1km程離れた所にある島原城天守閣が遠くに見る事が出来ます。
石灯篭の上にはサギが羽を休めていましたよ。
石灯篭から少し広まった所があり藤棚?が用意されています。
「おねがい ここで泳いでいるコイ・フナ・草魚のつり、かけばりはしないでください 島原市」って魚の形をした看板がありました。
見かけるのは黒い鯉がおおいのですがオレンジ色をした鯉も1匹見る事が出来ました。
そういえばここには昔、白土湖にせり出して喫茶店があり貸しボートもされていたと思います。サイダー工場と同じく遠い思い出です。
▼ 藤棚?あずまや? ▼![]() |
▼ とらないで! ▼![]() |
|
|
|
普通サイズの石灯篭を過ぎて出発地点へと戻って来ました。写真を撮りつつ歩いて16分かかったようです。ちょっとした散歩にもいいですよね。
来た道を振り返ってパシャリ! やっぱり青空があるのがうれしいですね。