眉山治山祈念公苑の観音様
眉山治山祈念公苑
島原総合運動公園の陸上競技場横から階段を上ると地元ゆかりの北村西望作の聖観世音菩薩象が安置されています。ここは島原では桜の名所として花見客が多数訪れる場所でもあります。すぐ横には子供(小学校低学年以下)が遊べる通称ロケット公園があり園児のお散歩コースであったり天気のいい休みの日は子供連れママさん達の憩いの場になっています。
菩薩象 階段下から |
有馬茂氏銅像 |
碑文 |
菩薩象 正面 |
寛政四年四月一日
眉山は、大音響とともに破裂し大津波をおこし、阿鼻叫喚の修羅場とかして、「島原大変肥後迷惑」といわれるように、有明海沿岸に空前絶後の大惨事をまきおこした。
その被害は、死者一四、六三六人、流出失家屋五、九七二戸、田畑三、〇六八町歩に及んだと記録されている。
山紫水明の美しい風土は、この壮絶な地殻変動の所産である。しかしながら、廃墟の中に生活を築き、まちをお輿した父祖先達の血みどろの足跡は、時代とともに埋没し、受難者鎮魂の祈りはだんだん風化されてしまおうとしている。
今こそ、眉山とのかかわりあいの系譜をたしかめ、自然の摂理と人間の営みをどう融合させるか、麗しいふるさとを守り、そして、後世に継承するためにも、私たちに課せられた命題ではないだろうか。
このたび、川崎市在住の有馬茂爺(秩父が浦出身)は遭難者の供養と眉山治山の祈りをこめて巨額の基金を寄進された。その至情は、眉山への畏敬と共感を呼びさまし、市内外から多くの協賛浄財が寄せられ、日本彫塑界最高峰、北村西望先生(南有馬出身)制作の聖観音菩薩像建立によって、ここに悲願成就への記念像が実現したのである。
地下に眠る遥かなる遭難先達の冥福と、治山事業の推進、郷土の安奉繁栄をねがい、永遠の慈光を念じてやまない。
昭和五十一年 陽春
島原市長 宮崎忠夫