しまばら ふるさと日記
諫早公園 眼鏡橋
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諫早公園のツツジと眼鏡橋

2021年4月10日 公開

諫早つつじ祭り

諫早公園 眼鏡橋 新型コロナウイルスの影響で諫早つつじ祭りは昨年は中止そして令和三年は4月1日~5月5日で眼鏡橋ライトアップのみが行われています。

 

 晴れで私の休日という事もあり4月7日に行って来ました。道路沿いで歩くと500m程度でしょうか?車は少し離れた所にある上山公園広場の駐車場を利用しました。

 

 すぐに公園内へと行けるルートもあるのですがまずは眼鏡橋から順番にって感じで見ていく事にします。

 場所:Googleマップ

 

 

眼鏡橋

▼ 模型の眼鏡橋 ▼模型の眼鏡橋   ▼ 眼鏡橋模型建設記念碑 ▼眼鏡橋模型建設記念碑

 

 

眼鏡橋模型建設記念碑

 眼鏡橋の模型は昭和三十二年七月の諫早大水害後、本明川に架かっていた眼鏡橋を諫早公園に移築復元する為に、橋の組立て方や強度など技術的なデータを収集する目的五分一の縮尺で造られたもので、長十メートル、幅一.一メートルです。
 本物の眼鏡橋を移築できたのも、この精巧な模型のお陰であり、当時の技術を伝える貴重な文化遺産であります。
 この眼鏡橋模型は、眼鏡橋移築終了後に地元での保存も検討されましたが水害後の諫早には適地がなく、昭和三十九年に国の仲介により埼玉県所沢市の旧ユネスコ村に譲渡されました。
 その後、平成十八年同園が閉鎖され、この模型も放置されたままの中、諫早に移してはどうかと話が持ち上がり、諫早市にも助言を頂きながら文化団体・経済団体その他多くの皆様のご協力のおかげで古里に里帰りさせることが出来ました。
 今後は、昭和の諫早石工匠の人達が丹精込めて造られたこの素晴らしい石橋模型を、後世への贈り物として大切に保存して行かなければならないと思っております。 

   平成二十四年十二月吉日

   ミニ眼鏡橋の里帰り委員会   現地案内文より

 

模型の眼鏡橋と背後の眼鏡橋

 

 

 道を挟んで眼鏡橋が見える位置にベンチがありますがそこには銅像が用意されています。彫刻家である黒川晃彦のタイトル不詳の作品(1991)だそうです。ツツジもきれいに咲いており青い空と木の緑との対比がとても奇麗でした。

 

▼ ベンチと銅像 ▼諫早公園 ベンチと銅像   ▼ ベンチより眼鏡橋 ▼諫早公園 眼鏡橋

 

▼ つつじ越しに眼鏡橋 ▼諫早公園 眼鏡橋

 

 

▼ 眼鏡橋の説明 ▼諫早公園 眼鏡橋

 

 

 諫早公園は日本の歴史公園百選に選ばれているそうです。

 

 —– 1956年(昭和31年)に都市公園法が制定されて50年目を迎えた2006年(平成18年)、国土交通省は「都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会」を立ち上げた。委員会はこの年で1966年(昭和41年)に「古都保存法」が制定されて40周年を迎えることに着目し、「日本の歴史公園100選選定事業」を実施した。  Wikipediaより —–

 

 

諫早公園 眼鏡橋

 

 

 天保十年(1839)に完成した二連アーチ式の石橋。昭和32年(1957)の諫早大水害でにより川幅を広げる事になり昭和36年(1961)現在の場所へと移設。

 

 移設作業の為に造られた模型は昭和39年(1964)に埼玉県所沢市の旧ユネスコ村に譲渡。

 

 その後、平成18年(2006)に同園が閉鎖され模型が里帰りしたとの事です。

 

諫早公園 眼鏡橋
諫早公園 眼鏡橋
諫早公園 眼鏡橋

 

 

 

諫早公園

▼ 歴史公園100選 ▼諫早公園 歴史公園100選   ▼ 池松林一爺之像 ▼諫早公園 池松林一爺之像

 

 

 —– 現地案内文より

 その昔…諫早公園の山は、山城だった!

 時は戦国時代。伊佐早地方(諫早市)を初めて統一した西郷尚善は、町にある小高い山にお城を築いた。山の北側は本明川を天然の堀とし、南側の絶壁の下には、空堀や土塁を造り二重三重にも守りを固めた。そのお城は、山の地形を巧みに利用した山城であった。その山城は高城と呼ばれ、別名、亀城とも呼ばれた。その後、天正15年(1587年)豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は、竜造寺家晴(初代諫早家)に責められて高城を追い出された。それからは諫早家の高城になるが、江戸時代になると幕府から「一国一城令」がだされ、高城は姿を消した。そして時は流れ大正12年(1923年)ツツジが植えられてみんなの憩いの場としての諫早公園が誕生した。 —–

 

 

諫早公園 ツツジ

 

 

 山の斜面のツツジはもう少し時が必要かもしれませんね。階段を上って行きます。階段から入ったところにツツジに鴨まれたベンチとかも用意されているのできれいに咲いた時はいい撮影場所かもしれません。

 

 途中石碑や像が設置された比較的広い場所や階段側に伊東静雄詩碑もあります。とりあえずささっと撮影しながらさらに階段を上って行きます。

 

諫早公園 ツツジ   諫早公園

 

▼ 伊東静雄詩碑 ▼諫早公園 伊東静雄詩碑

 

 

▼ 伊東静雄詩碑 説明 ▼諫早公園 伊東静雄詩碑

 

 

 頂上付近に行くと大楠が見えて来て広場に入る所には神額には「高城社」とある天保十四年(1843)建立の鳥居があります。

 

 この大楠は現地案内によると幹回り約12m・樹高約30m樹齢600~800年との事。

 

 

諫早公園 鳥居

 

 

諫早公園

  高矢倉跡からは市街地が一望できます。

 

 石碑によると旧諫早藩主の居城高城の跡地を諫早家の好意により大正八年(1919)市民に開放、昭和三十三年(1958)に諫早市に寄贈されたとの事です。

 

 広場の奥の方へと歩んでいくと忠魂碑がありました。

諫早公園
諫早公園

 

 

▼ 高城明神(旧宮さん) ▼諫早公園 高城明神(旧宮さん)   ▼ 説明文 ▼諫早公園 高城明神(旧宮さん)

 

 

諫早公園 高城明神(旧宮さん)

 

 

諫早公園 高城明神(旧宮さん)  

 向かって左が竜造寺家の遠祖である藤原鎌足を祀った寛政十二年(1800)建立の藤原明神。

 

 右が諫早家初代の竜造寺家晴を祀った天保十三年(1842)建立の高城明神。

 

 

 いつもは高城明神の後ろ側にある階段から降りて駐車場側へと向かうのですが何かの工事中で進むことができません。

 

 上ってきたように降りるしかないのかなと戻っていたら別の個所からの階段がありました。とりあえずそこから降りて進んで行くと上山公園駐車場へと通じる道が行けました。

 

 案内ルート(その十)空堀ってある所です。

諫早公園
諫早公園
諫早公園

 

 道路側まで下りてきて正面には上山公園駐車場が見えます。早くコロナ禍の影響が減じて日常の生活に戻れる事を願っています。

 

 来年のつつじ祭りが通常に行われますように! 普通に戻りたいです…

 

▼ 駐車場が見えて来ました ▼諫早公園   ▼ 上山公園駐車場 ▼上山公園駐車場

 

 

 

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