原生沼と木花開耶姫神社
雲仙市 原生沼
8月の大雨による土砂崩れで人的被害もでた雲仙。ひと月近くが経った今、復興の為に各所で工事が行われていました。
地獄の方も一部見る事が可能になったとの事ですが今回は原生沼を紹介したいと思います。
コロナ禍での観光業の低迷は大変だと思いますが少しずつでも日常が取り戻していける事を願ってやみません。
場所:Googleマップ
▼ 原生沼 ▼![]() |
▼ 見られる植物 ▼![]() |
原生沼の周囲を歩道が整備されており一周500mとなっています。沼を周るだけなら10分もあれば可能な距離ですが途中から別道を進んである木花開耶姫神社まで見ようと思うと20分弱程度を予定に入れるといいかと思います。
今回スタート地点はテニスコート側からの遊歩道入口からです。入口側にある「原生沼で見られる植物」によると五月下旬、沼の植物は一斉に花をつけるとの事。来年はその頃に来てみたいなと思いました。
歩道に入ると30m程でしょうか?すぐにあずまやと鳥居が見えて来ます。
ここから左へと進むと木花開耶姫神社になり私も最初そちらに向かったのですが紹介は原生沼紹介の後にしたいと思います。
木で出来た歩道は幅1.5m程度でしょうか?濡れている時は滑るので注意下さいとの案内がありましたがこの日は大丈夫のようです。
▼ 木の歩道 ▼![]() |
▼ 原生沼 ▼![]() |
歩道を歩いていると川と言っていいのか分かりませんが水が流れている箇所がありました。歩道から川上側を見るとオリエンテーリングのポイントがあります。
自分ではオリエンテーリングをした事がありませんが子供会で2回程その手助けをした事があり懐かしく思い出されて来ます。もちろんこの場所ではりませんが(笑)
▼ 歩道から川上 ▼![]() |
▼ 歩道から川下 ▼![]() |
雲仙を最初に開いたのは、およそ1300年前(701年)、奈良時代の僧「行基」だと云われています。当時「温泉」(ウンゼン)は、女人禁制の霊山として、西の高野山と呼ばれるほど栄えていました。そのためか、地獄の噴気箇所には、当時の物証説話にもとづいた地名が数多く付けられています。
明治44年(1911年)には、日本で初の「県営温泉(うんぜん)公園」となり、昭和9年(1934年)に瀬戸内海や霧島とともに日本最初の国立公園の指定を受けました。その後、昭和31年に天草地域が追加され「雲仙天草国立公園」となりました。
雲仙の特徴ある自然は、四季折々、ちがった風景を見せてくれます。「自然と歴史を観る目」をもって、国立公園「雲仙」をお楽しみください。
現地案内文より
今回原生沼で見かけた花は赤い彼岸花と名前が分からない紫の花がありました。
歩道から少し大きい道側まで来ると地蔵が一体見えて来ます。台座に文字か書かれているのですが読む事が出来ません…
ここまで来ると残り100m程度って所になります。
▼ 一周迄あと少し ▼![]() |
木で出来た歩道が途切れ車道へと変わります。
この原生沼に生えている草木の手入れというか刈込?も定期的に行われているようですが関係者以外は中に入らないようにしましょう!
またゴミ等散らかさないようご注意を! |
木花開耶姫神社
本日のスタート地点、テニスコート側から入るとすぐに木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)神社の鳥居とあずまやが見えて来ます。
木花開耶姫は沢山の信仰を集めていますが特に安産・子授けに対してその偶像物をあがめるという形式の神社が各地に多数ありここ雲仙の木花開耶姫神社もそういったモノが安置されています。
R指定と言いますか性器の偶像物的なモノがありますので不快に思われる方は他のページへとお移り下さい。
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原生沼側の鳥居を潜ると細い山道となります。時期によっては蜘蛛の巣がはっていると思われますので前方を5~60cm程の小枝なんかを振りつつ進まれる事をお勧めします。
3分程上るとベンチが用意されていましたが座る事には躊躇する状態でした。
そこを越えるとすぐ上方に木花開耶姫神社の偶像物らしきモノが見えて来ました。
▼ 案内 ▼![]() |
▼ 石祠 ▼![]() |
絶世の美女である木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られている神社です。
安産・子授けの他にも農業・漁業・織物業・酒造業・海上安全・航海安全等にご利益があるとされていますので近くに立ち寄られた際はぜひ足を運んで下さい。
▼ 男の神 ▼![]() |
▼ 女の神 ▼![]() |