南島原市有家町山川 温泉神社
温泉神社(旧称 四面宮)
南島原市有家町から雲仙へと向かう県道132号線から少し入った所にある神社。県道からは木々が茂っている程度しか見えません。
右写真は境内より南に面している鳥居。私はこれが一の鳥居と思っていたのですが150mほど南に行くと鳥居がありました。(昭和14年建立、神額:温泉神社)
右の二の鳥居の神額は「四面宮」とあり明治〇年で写真で判別が出来ませんでした。
▼ 温泉神社の説明 ▼![]() |
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神社明細帳(明治八年編)は「貞観三年(八六一)九月建立、寛永十四年(一六三七)、キリスト教の乱に社殿旧記悉く焼失」と記述しているが天正八年(一五八〇)領主有馬晴信のキリシタン改宗政策により仏教破壊の指令に基づき仏教関係の破壊投棄が行われ、古来からの修験道の歴史はこの時一端断絶した。
島原の乱終結後、寛永十五年三月再建され四面大明神として修験道も復活し金剛院の併置となった。
明治三年三月神仏分離の政策により再び仏教は分離され神社一元化となり温泉神社と改称された。
現地案内文より一部抜粋 _____
隋神門前の石灯籠上にいる狛犬は門の方を向いています。聖域を守るための守護獣という事で参拝者と正対するように置かれる事が多いとの事なので珍しい配置だと思います。
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① 石灯籠上の狛犬 ② 石灯籠上の狛犬 ③ 隋神門 ④ 隋神門と石灯籠 |
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▼ 隋神 右大臣 ▼![]() |
▼ 隋神 左大臣 ▼![]() |
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隋神の写真が格子の関係でよく分かりませんね。 間違いかも知れませんが右大臣は織田信長で左大臣が足利義満?
隋神門から入ると左手に手水舎が見えて来ます。女性の神主さんが境内を掃除されておられました。挨拶をし境内の写真を撮らせて頂きました。 |
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拝殿を写していると鍵を開けましょうかとの声掛けが!何度か辞退したのですがそれでものご厚意に甘えて拝殿に入らせて頂く事にします。神主さんありがとうございました!
天皇陛下御即位の旗があります。令和と言う新しい御代が素晴らしい時代となります様に!
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① 拝殿 ② 拝殿内 ③ 幣殿 ④ 拝殿より外 |
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戦役記念碑には見寝れない感じの年数が書かれており調べてみました。 明治卅七・八年戦役:日露戦争 大正三四年:第一次大戦 を表しています。
金剛院跡の説明は有家町教育委員会の現地説明写真を大きく下に載せています。 |
▼ 遊具 ▼![]() |
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▼ 金剛院跡石塔群説明 ▼![]() |
有馬晴信のキリスト教への改宗に伴い天正八年(一五八〇)にキリシタンによる寺社破壊が行われここ四面宮も破却。
出土した石塔群は約三〇〇基分が確認されかつての繁栄を物語っているとの事です。
制作時期:14世紀~16世紀後半 |
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拝殿へ向かって右側(境内の東側)には神額「温泉社」と刻まれた鳥居が有ります。そしてそのすぐ近くに忠魂碑。写真で言うとこの忠魂碑の後ろ位から車で境内に入り碑の前位に数台分位の駐車スペースがありました。
▼ 神額「温泉社」 ▼![]() |
▼ 忠魂碑 ▼![]() |