南島原市西有家町里坊 天満神社
天満神社
廃線になった島鉄西有家駅跡近くにある小山の上に神社があります。
小山への階段の上り口に鳥居がありますがそれは二の鳥居で一の鳥居はその正面200mほど先にありました。※以前の記事では階段の鳥居を一の鳥居と紹介しています。
鳥居の柱足元には西有家新四国八十八ヶ所霊場の札所がありました。
昭和五十年(1975)建立で神額は「天満宮」
上がりきった所にはまだピンクの花びらが残った桜が咲いていました。
実際はこちらから周ったのですがこの記事的には天満神社の後で紹介したいと思います。
数段の階段を上がった所に石灯籠と一対の狛犬。またベンチも用意されていました。
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
昭和十一年(1936)建立の三の鳥居、神額は「天満神社」
またその手水舎の側に西有家新四国八十八ヶ所霊場の札所もあります。
▼ 原爆被爆者慰霊碑 ▼ ![]() |
▼ 慰霊碑 ▼![]() |
▼ 手水舎 ▼![]() |
拝殿前の桜もまだピンクの花びらが残っています。もう少し早い時期に来るとさらに素敵な風景が広がっていたのかもしれませんね。
昭和十二年(1937)建立の石灯籠の上には狛犬が鎮座。
左側の奥には桜が咲き珍しい逆立ち狛犬をパシャリ!
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
▼ 吽形逆立ち狛犬 ▼![]() |
いつものように二歳半になる孫娘の健よかなる成長と元気な二人目の孫に出会える事(現在は孫娘に出会えました)を願って…
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
後で考えると拝殿内から外を見るカットの写真が無かったって後悔してしまいました。
本殿の左右に牛の像が献獣としてあります。
拝殿に向かって右側奥の献獣は体制のせいかもしれませんが丸まった感じで年季がありそうに見えます。こちらはもしかしたら牛ではなく馬かも知れません…
▼ 本殿左側の献獣 ▼![]() |
▼ 本殿右側の献獣 ▼![]() |
社殿奥は国道側から入られるゲートボール場となっているようでした。この日も声が聞こえて来ているので何人かでプレーされているようです。
また近くに建物があります。しめ縄がされていますが特に案内はされていません。
多分神輿殿ではないかと思っています。
また石碑があり「陸軍歩兵軍曹 永田常吉忠魂碑}と刻まれています。ここは見晴らしがよくベンチがいくつか用意されていました。
末社 大神神社
ここは末社と言っていいのかよく分かりませんが天満神社の二の鳥居を潜り階段を上ったらすぐの所にあります。
昭和四十六年(1971)建立の赤い鳥居があり神額には「大神神社」とありました。
15mほど進んだ所に数段の階段がありその上に拝殿があります。
拝殿前には昭和四十八年(1973)建立の一対の狛犬が鎮座しています。
扉が閉まっており中に入る事はできませんが隙間らか賽銭を入れる事は可能。
中を覗くと畳が積み上げられておかれている以外は特に何も無いようでした。
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
これを手水舎って言っていいのでしょうか?ベンチもあり、あずまやの中に手水鉢があるって感じですよね。
この地では島原の乱以降移住した農民により素麺造りが続けられ、そして子々孫々まで素麺の発展を願い素麵の神様である奈良県桜井市にある大神神社神社がら分霊し建設したとの事です。
その後ろ側、拝殿の左隣付近に「天満宮旧本殿跡 昭和十二年一月三日」と刻まれた碑があります。
以前は天満神社がありその後この大神神社となったようですね。
末社 琴平神社
▼ 鳥居 ▼![]() |
▼ 石祠 ▼![]() |
大神神社拝殿側からも行けそのまま天満神社の参道へと抜けられる位置取りとなっていました。
大神神社の鳥居と同じ昭和四十六年(1971)建立の白い鳥居があります。神額は「琴平神社」
過去記事
・南島原市 天満神社(2022年6月4日 公開)