島原市天神元町 天満神社
天満神社
国道57号線を雲仙方面へ島原第五小学校を過ぎ水無川に架かる橋の手前の信号から眉山側へ右折し細い道を上って行きます。
天満神社までの約600m程の狭い道路脇には個人宅の塀の上や入り口わきに石碑が数多く見受けられますね。停まって見ていないので何の神様か分かりません。
神社の横から車を境内に入れてそこへ停め鳥居から撮影開始。一の鳥居には明治三十二年(1899)と刻まれていました。
▼ 一の鳥居 神額「天満宮」 ▼![]() |
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▼ 二の鳥居 神額「天満神社」 ▼![]() |
二の鳥居は大正十二年(1923)となっていました。
階段を上ると右の道側に牛の像がありその横には中木場地区戦没者芳名の碑がありました。
逆側へ行くと水路側に狛犬が珍しい形で飾られていました。しかもこれまた珍しい逆立ちしている狛犬です。 |
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▼ 清水川と石碑 ▼![]() |
神社の奥側に水路のようなモノがあります。石碑があるので読んでみると「島原市指定文化財 史跡清水川」となっていました。
一の鳥居の横に桜模様の鉢というのかあったので何だろうと思っていましたがこの川の水が落ちる所だったようですね。 実際の水は流れていません。 |
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_____ 清水川
1792年(寛政4年)の島原大変により、水脈が枯れて日常生活に支障をきたすようになりました。
特に島原市安中地区(中木場村)は、普賢岳の山麓にあり、被害は大きいものでした。
そこで庄屋下田吉兵衛を中心として村人は水源を探しましたが、なかなか見つけることはできませんでした。
しかしある夜、庄屋の夢枕に「岩上山麓に水の湧き出すところあり」とのお告げがあり、このお告げが水源を発見するきっかけとなりました。
その後、村人と協力して1821年(文政4年)に、約5キロを木桶で水道を完成させました。
しかし、年々木桶の水道は痛みがはげしくなり、1857年(安政5年)に切石で水路を作り、水道を改修しました。
長い間村人に利用されてきましたが、水道事業の普及により忘れ去られ、また1990年からはじまった「平成噴火」により、火砕流と土石流のため水源である岩上山は厚い土砂に埋没してしまいました。
引用元 島原半島・天草三角地域ホームページ より _____
拝殿の左右にある狛犬はこれもまた珍しく石に前足を上げ寄り掛かった様な体勢になっています。
とてもきれいで新しいように見えるのですが台座には昭和十五年となっており台座部分と狛犬の制作は違うのかもしれません。 |
▼ 拝殿 ▼![]() |
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▼ 本殿 ▼![]() |
本殿と平成十年の改修工事の碑がありました。
左奥に行くと木の根元に前回来た時は気づいていない結構新し目の石像がありました。
本殿の後ろ側には神額っぽいモノや石灯籠っぽいものなどの壊れた残骸がまとめてあります。 |
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▼ 消防団のシャッター ▼![]() |
神社近くにある島原市消防団第15分団のシャッターにはっぴを着た島原のゆるきゃら「しまばらん」が描かれていました。
神社の上の道沿いに水神の石碑と石仏?様があり尊女愛罔と書かれています。 ネットで軽く検索したのですがよく分かりませんでした。尼さん?ですかね… |
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