島原市湊道 大師堂
弁天山 理性院 大師堂
大師堂に久しぶりに行って来ました。大師堂前の道は細く本堂前に駐車場が用意されていますが2×2台程度とそれほど広くはありません。
今回はスクーターで来ていますが前回同様裏に停めて施設内を周っています。ただ紹介は案内図の順番でしていこうと思っています。
場所:Googleマップ
▼ ①弁天山理性院大師堂本堂 ▼![]() |
▼ 本堂内部 ▼![]() |
本堂内まで入ろうかなっても思ったのですが入口にも賽銭箱があったのでここで孫娘の成長を願って… 本堂の左側を周って奥に行くと青い建物が見えて来ます。②台山天如塔となります。
由来によると開祖言証師が明治39年(1906)から2年半にかけてインド仏跡巡礼を達成。帰路ラングーンの寺で大理石の如来像を贈られ帰国後寄進された浄財で塔を建立。最上階に安置し天竺からの如来像である事から天如塔と命名されたとの事。
③十二支守本尊
▼ 勢至菩薩 ▼![]() |
▼ 普賢菩薩 ▼![]() |
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天如塔の周りを石像が囲むように建てられています。ちょうど天如塔の裏側にあたる場所に神棚があり神変大菩薩像が納められていました。
十二支守本尊っていうのですから12体あるはずなのですが残りの三つは入口の石碑っぽい奴だったのでしょうか?写真を撮ってこなかったのが悔やまれます。
④玉垣と⑥三地蔵菩薩
玉垣の側に沢山の地蔵があり大きめの三つの地蔵を三地蔵菩薩と言われるそうです。
案内によると明治時代の島原警察署にあったものが夢のお告げでこの場所へと移されたモノ。耳・歯・目の病にご利益があるとの事。 |
▼ 三地蔵菩薩の案内 ▼![]() |
▼ ⑤子安観音堂 内部▼![]() |
▼ ⑦生目八幡菩薩 ▼![]() |
安産、子授けのお観音さまとして信仰されている子安観音、お堂の中には沢山のキューピー人形も並べられていました。
玉垣側の一角に小さめの建物。扉は開けませんでしたが外からパシャリ!この中に生目八幡菩薩像があるようです。
▼ 石碑と地蔵 ▼![]() |
▼ ⑧第八十八番礼所 ▼![]() |
小道脇に石碑と石像がありましたが写真で文字が読めませんでした。案内図には特に提示されていませんでした。
鎮西八十八ヵ所霊場、第八十八番礼所があります。その側には案内図で駐車場とされている場所がありますが特に白線等はありません。下記に駐車場の写真またTOP画像にも第八十八番礼所と駐車場が少し写っています。
▼ 駐車場付近 ▼![]() |
▼ ⑨馬頭観音建設記念碑 ▼![]() |
▼ ⑩開山廣田言証和尚 ▼![]() |
明治二十八年当地に大師堂を建立とあります。また明治天皇より金杯を賜れたとの事。 |
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⑫紀念大師(弘法大使像)
開山言証和尚も左の目が見えなくこの像が出来た翌月寂しなされたとの事で身代り大師としておまつりしているとの事でした。
▼ ⑬祐徳稲荷大明神 ▼![]() |
▼ 祐徳稲荷大明神社内 ▼![]() |
ちょっとした小山があり階段を上るとこの祐徳稲荷大明神の社がありその奥に⑩から⑫の施設もまとまってあります。この社はカギがかかっており窓ガラス越しに中をパシャリ!
また近くに逆光で分かりずらい写真ですが夫婦楠って御神木がありました。
小山を下りて少し(20m程)は離れた場所に新義真言宗中興の祖といわれる興教大師の像があります。
▼ ⑭興教大師 ▼![]() |
▼ 興教大師案内 ▼![]() |
⑮弁財天宮
祐徳稲荷大明神があった小山から4~50mほど離れた所に弁財天宮があります。
小山の上に社があるのですが階段手前に手水舎も用意されています。
約三年ぶりに大師堂に来てみました。事前に連絡して来ると天如塔に上れるとネットを検索していて知りました。今度お願いしてみようかと思っています。