霊丘神社 原爆の日、慰霊祭
慰霊祭
8月9日は長崎原爆の日です。多くの学校では夏休みの登校日に充てられて午前11時02分に黙とうを捧げます。
ここ霊丘神社境内に原爆殉難者乃碑がありそこで慰霊祭が行われています。
75年という月日が経ち体験者も減り、また直接被害を受けていない我々の記憶からも少しずつ忘れて行っているのではないでしょうか?
悲劇が繰り返さない事を願って…
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時間を空けて11時頃行くと新たに別のテントがあり神主さんはじめ参列者と記者の方がおられました。
11時2分、黙とう! |
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霊丘神社
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ここ何日か天気のいい日が続いておりコロナウイルスの影響によりマスクとかしているととてもきついですよね。 寒い季節や涼しい時ならいいけど人混み以外の場所ではあまりしておきたくない私がいます。 この時していなかったので人に近づきすぎないよう注意しつつ写真撮りながら周っていました。 |
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朝伺った時には拝殿内に人がおられて祈祷されていました。 拝殿の横にもコンクリートで階段が出来ておりそちら側の扉も開放されています。暑さ?コロナ?対策でしょうか? いつもは全身を写していましたが今回は顔アップの狛犬を! |
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二の鳥居から拝殿を見て左側に白い鳥居が特徴の蚕霊神社、右側に潜龍園神社が末社としてあります。明治時代に半島で養蚕業が盛んだった事が関係しているのではないかと思われます。
▼ 末社 蚕霊神社 ▼![]() |
▼ 末社 潜龍園神社 ▼![]() |
満島稲荷神社
▼ 千本鳥居 ▼![]() |
池の横に奥へと千本鳥居が続いています。 途中にある石灯篭は文化四年(1807)と刻んであり200年を超え信仰されているようです。 ただ30m程進むと残念ですが結構傷んでいる社が見えて来ます。 社内にある神社幕には昭和五十六年(1981)とあり40年ほど時が過ぎてしまっています。 |
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豊田稲荷・大川稲荷 神霊
▼ 赤い鳥居後ろの階段を上って ▼![]() |
別の小山へと続く階段を上るとさらに残念な社が見えて来ます。社前にある石灯篭には文化十五年(1818)の文字。 社内の石碑の前に小さな鳥居は昭和四十四年(1969)とありました。
神体を見ると豊田稲荷、大川稲荷 神霊と書かれています。 |
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側にある石祠
▼ 二つの赤い鳥居 ▼![]() |
▼ 石祠の内側 ▼![]() |
二本の赤い鳥居があるのでお稲荷さんだと思いますがご神体に書かれている文字は読めませんでした。
結構雑草が伸びており今の時期には蛇にご注意下さい。 公園の他の所では除草作業が行われていたのでこちらもそのうち奇麗になるのかも知れません。 |
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島原護国神社
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海側の小山に行くとそこには島原護国神社があります。境内左から奥羽役殉難之碑、殉国者三神霊の石祠そして忠魂碑があります。
後ろ側の塀に松が倒れて破損して結構な日数が経っていますがそのままの状態です。修理とかされないのでしょうかね?! |
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霊丘公園
▼ 霊丘公園案内図 ▼![]() |
公園の施設を利用する場合はここ体育館に予約しにいかないといけません。 ※インターネットでも予約可能
ネット越しにグラウンドを! 年配の方が多数おられゲットボール?グランドゴルフ?的な運動をされていました。 |
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▼ 長浜海岸方面 ▼![]() |
▼ 海浜公園方面 ▼![]() |
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島原護国神社近くから海を見下ろすと左手に長浜海岸、右手に島原海浜公園となります。
結構この景色は好きですね。朝焼け日の出も奇麗ですよ。
小山を降りると温水プールです。 |
温水プールの横には有馬武道館。娘・息子と柔道をしていたので中学時代の島原での大会はここであっていました。レスリングとかも行われているみたいです。今の私にとって懐かしい思い出ですね。
▼ 有馬武道館 ▼![]() |
▼ 右側に宝酒造 ▼![]() |
▼ テニスコート ▼![]() |
島鉄最後の蒸気機関車が展示されています。調べると1971年市に寄贈されて私が子供の時は上って遊んでいました。 今は上らないで下さいの注意書きがあります。
この日ブランコに黄色テープが巻かれていて利用できないようになっていました。 |
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