龍造寺氏縁の二本木神社
二本木神社
二本木神社は隆信公を失った家臣のうち住みついた人達が戦死をいたみ、その霊を慰めようと小祠を建て霊を祀り、二本木様と仰ぎ厄除けの神としてたたえて来たのが始まりです。 現地案内文より _____
島原市北門の交差点から海側へ100m程いった所にあります。線路を越えてすぐの所に空き地っぽくなった所に数台の駐車スペースが有ります。
▼ 現地案内文 ▼![]() |
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鳥居と拝殿への間の参道を横切る形で車が通る事があります。鳥居を撮影している時に少しびっくりしました。お立ち寄りのさいはご注意下さい。
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① 二本木神社 神額 ② 子取りの狛犬 ③ 玉取りの狛犬 ④ 二本木神社 拝殿 |
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▼ 拝殿 ▼![]() |
拝殿は開くかなと手を伸ばしましたが…残念。 鍵その他なさそうでしたがどうやって入るのでしょうね?!
裏側に周って本殿を撮影。 拝殿から本殿への扉が外れかけていました。こちらから出入りしているのかな? |
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拝殿横から奥を見ると多くの石祠と石仏が並んでいます。一月ほど前通りながら見た時は草がひどくてとても石祠の所には行けない状態でした。草刈りされていたようです。
▼ 並んだ石祠 ▼![]() |
一つずつ取り上げるのは難しいほどの石祠の数々がありました。
猿田彦神、水神やキツネもいたのでお稲荷さん?はたまたお地蔵様などここに集められているようですね。 時期なのか蚊がすごく虫よけスプレーが効いていない… |
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▼ 離れた所に石祠 ▼![]() |
石祠群から少し離れた所に石灯籠ありの石祠が一基ありました。
鳥居を斜め裏から撮影。手前に狭い道を進むとパン屋さんがあります。
ここ車が通るのでご注意を! |
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沖田畷古戦場跡
神社から国道へでてそこから北側へ150m程進むと戦国武将であった龍造寺氏と有馬氏、島津氏との戦いがあった沖田畷古戦場跡(龍造寺隆信の供養塔)があります。
1581年、島原領主の有馬晴信は龍造寺家から離反し島津家に。
1584年、龍造寺隆信は5万の兵で進軍。有馬氏の救援要請で島津氏の援軍と共に島津・有馬連合8千と沖田畷で対峙。
島津氏得意の釣り野伏せ戦法で龍造寺勢は混乱し龍造寺隆信は火縄銃の玉にあたり戦死。
▼ 沖田畷古戦場跡 ▼![]() |
狭い通路を30m程入って行くと周りをブロックで囲んで龍造寺隆信の供養塔があります。
民間の敷地との境がよく分からないのですがブロック内の掃除が行き届いていました。
戦国時代に興味がある人には思う所がある場所かもしれませんね。 |
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地元の者ですが沖田畷古戦場跡は初めて来ました。それほどの距離は無いので車は二本木神社に置いて歩いて来ました。
龍造寺隆信繋がりで沖田畷の戦いの時に龍造寺氏が本陣とした三会城跡(現馬頭観音中原神社)も別ページで紹介しています。