南島原市深江町 水原神社(門脇神社)
水原神社(門脇神社)
国道57号線から入った所になりますが雲仙普賢岳噴火災害で被災した旧大野木場小学校が案内表示されていますのでそれを目印とするといいかと思います。
場所:Googleマップ
拝殿側にある緋寒桜がきれいなのでこの時期よく来ていたのですが今回はいつもより開花が遅れているようでした。
後でまた来て追記で写真を入れるかもしれません。
▼ 身代わりの社 案内 ▼![]() |
▼ 溶岩ドーム ▼![]() |
一の鳥居横にある案内には雲仙普賢岳が噴火活動を活発化し始めた頃の火口付近の写真がありました。実物は神殿内に提示と書かれていますが扉が閉まっており普段は見れないんですよね…
被災前の水原神社の写真と共に「身代りの社」と題して案内がされていました。
源流のほとりに鎮座され地域住民の水の護り神として崇められておりましたが平成三年の噴火災害によって流焼失してしまいました、四十三名の尊い命がなくなった災害でしたが大野木場住民に一人の犠牲者もなかったのはこの神社が身代わりとなって住民の命を守って下さったものと信じるものであります、平成二十一年に神社の敷地提供者の申し出がありこれを機に神社再建に取り組み多くの皆さんの奉賛によって十八年振りに再建深江町の総社諏訪神社に避難されていた御神体が鎮座された水原神社であります、自然災害交通事故等不測の災難が多いご時世です、皆様もこの神社に参拝裁き生命の安全をお祈り下さい神のお加護をと念します、 水原神社護神会
案内全文 _____
案内文の中の文末には「。」はなく「、」でされていましたのでそのまま表してみました。
手水舎の横には水原神社の由来が案内されていましたが焼けて読むのが困難な状態になっています。
2018年4月の記事の写真はきれいに読めるので興味ある方はクリックして拡大して読んでみて下さい。
大野木場地区近隣では門脇神社として親しまれていたそうです。
平清盛の弟である門脇中納言教盛が壇ノ浦の敗戦後、安徳村に逃れ大野木場赤松谷に隠れ住み、農夫となって一生を終えた。没後霊を慰めるために神社を建立したとの云い伝えがあるとの事。
拝殿前にある二の鳥居。建立は平成二十一年で一の鳥居より前に建立されているようですね。
神額は「水原神社」となっています。
数段の階段を上った所の左右に一対の狛犬が鎮座しています。奉納したてのようにきれいな狛犬ですが10年以上の年月が経っていますよ。
▼ 吽形子持ち狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形玉持ち狛犬 ▼![]() |
サッシは開ける事が出来ず中がよく分かりませんね。
いつものように孫娘を連れて二人目の出産で帰ってきている娘の為にお祈りして…
四月頭の出産予定です。もうすぐなんですよ!
横に回って拝殿と本殿をパシャリ!その横にトイレも用意されています。
だったのですがそこまで咲いていない状態でした。
いつもなら二月末に満開で遅れてしまったと思い来たのですけどね。
きれいに咲いた所を見たいのでもうしばらくして天気のいい日に来たいかなって思っています。
二の鳥居前から一の鳥居を見るとその向こうには大野木場砂防みらい館が見えています。
また、その横には被災した旧大野木場小学校が少しだけ見えていますよ。そしてその奥には眉山が…
追記 3月11日
一週間ほど経ったのでいい感じになっていないかなと期待を持って晴れた私の休みの日に行ってきました。
満開って言っていいのではないかと思いますが木の右側がもう少し咲いていてくれたら拝殿といい感じで写すことが出来そうだったのが少し残念でした。
晴れていい感じかなって思っていたのですがPM2.5ですかね!?山が霞がかっておりはっきり見えません…
何事もうまくいくって事は少ないのかもしれませんがきれいな桜を見る事が出来て来てよかったかなと思います。