島原市 温泉熊野神社
温泉熊野(おんせんくまの)熊野神社
島原市杉山町に温泉熊野神社を紹介します。島原半島には温泉と書いて「うんぜん」と読む神社が多数あるので別という事を最初に表しておきます。
鳥居を潜って進むと細い道をまわり込む必要がありますが境内に車を駐車可能です。
一の鳥居の柱には紀元二千六百年(西暦1940年)と刻まれています。
場所:Googleマップ
少し進むと石灯籠がありその後ろには鳥居だったモノの柱らしきものがありました。
その後ろに二の鳥居があります。柱を見ると平成十年(1998)建立で神額には「温泉熊野神社」となっています。
さらに進むと何段かの階段を上った所に三の鳥居がありました。(※一の鳥居から三の鳥居まで約60m)
建立年は分かりませんでしたが見ると私には一番古く感じられました。
三の鳥居の左側にはカエルの像があり「まー坊蛙」と名付けられた石像があります。
雲仙普賢岳災害によって、多くの被災者を出した、この「水と緑の街、島原」が復興の途を辿り、参拝者の人々が「無事に蛙」ことを祈り、家内安全のお守りとして、みかげ石で作られた縁起物の蛙を「まー坊蛙」と命名し、神社の境内に奉納しました。
との事でした。
▼ 手水舎 ▼![]() |
▼ 手水鉢の花 ▼![]() |
三の鳥居を潜りすぐ左側(まー坊蛙の後ろ)には手水舎があります。
ここの手水鉢には以前来た時もでしたが花がありとてもいい感じで手や口を清めることが出来ますよ。近くに行った時は是非参拝してみて下さい!
右側を見ると殉国者慰霊塔があります。
終戦記念日の翌日である8月16日に来たからなのか慰霊塔の台座の扉が開いていました。
国の為に命を捧げた地元の方の霊が祀られているものと思われます。
境内の真ん中あたりには… 遊具も多数あるので何とも言いづらいのですが土俵!?か砂場!?らしきモノがあり奥には滑り台が見えています。
後ろ向きの鳥居があったので個人宅っぽい敷地に回り込んで撮影。
逆光で陰となりよく見えませんが神額には「天満宮」と刻まれています。またその横には石祠が多数並んでありました。
▼ 鳥居 神額「天満宮」 ▼![]() |
▼ 石祠 ▼![]() |
またすぐおこに小さな社ありその手前に石柱があります。
左右の順で上位との事なので真ん中に温泉熊野三柱大神が真ん中で左(向かって右)に普賢神社、右(向かって左)に圀玉神社と刻まれていました。
▼ 石柱 ▼![]() |
▼ 社内部 ▼![]() |
社の左側を見ると十数段の階段があり上ると不老門と名付けられた構造物があります。
中国洛陽の城門の一つの名で近世では江戸城の北面にある門や、島原遊郭の大門などに名付けられていたとの事ですよ。
門を越えると右側に守札授与所がありましたがもちろん今は閉まっているようでした。
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
お賽銭を入れいつものように二人の孫娘の健よかなる成長と両親の健康を願って…
拝殿内に入らせて頂きその奥の幣殿もパシャリ!
▼ 拝殿内部 ▼![]() |
▼ 幣殿内部 ▼![]() |
拝殿を出て横には大楠があり長崎県の指定天然記念物となっている大楠がありました。
長崎県指定天然記念物 熊野神社の大楠
雲仙山麗の代表的な大楠として古くから有名な神木です。樹高役十九メートル、目通り幹回り八メートル。
天正十二年(一五八四)島津・有馬の連合軍と佐賀の龍造寺隆信の率いる軍が沖田畷で戦いました。
島津氏の将、伊集院忠棟は兵一千を率いてここに陣地を置き、龍造寺を破って大勝する事が出来ました。
その戦勝の記念に大椋とともに献木したのがこの大楠と伝えられています。
少し離れた所に長崎県指定天然記念物「熊野神社の大椋」がありますが雑草が茂っており近寄るのが困難な状態です。
とりあえず少し離れた所からパシャリ!
長崎県指定天然記念物 熊野神社の大椋
この大椋は、戦国大名島津氏の武将、伊集院忠棟が、天正十二年(一五八四)の沖田畷の戦いの戦勝を記念して境内の大楠とともに献木したものと伝えられています。
樹高約二十メートル、目通り幹回り六.七メートルで、傾斜面に生えているため、長大な板根が発達して、環境にうまく適応しています。
最初言った駐車可能な場所とは右の写真の場所となります。
過去記事を紹介