南島原市布津町 熊野神社
熊野神社
島原方面か言うと国道251号線、布津テニスコートを過ぎ200mほどの信号機ありの小さな交差点を右折。
200mほど小道へ入った所にあります。鳥居横に三台ほどのスペースがある駐車場が用意されています。
一の鳥居の神額は「熊野神社」とあり右側の柱には補強の金具が見えています。
場所:Googleマップ
近くの石碑に昭和四十五年(1970)と刻まれている石畳と橋を渡っていきます。
二の鳥居近くまで進みます。
神額には「熊野宮」とありました。
石畳の参道を20mほどでしょうか進み階段を上がった所に一対の少し変わった狛犬が鎮座しています。
「狛犬の由来
此の狛犬は、寛政4年(1792年)4月1日普賢山頂が噴火して大津波が来た時にもながされることもなく後世、津波からの守り神と伝えられたものである。
此の狛犬は、享保20年(1735年)9月15日貝崎名井上市兵衛氏が奉納せるものである。」と書かれていました。
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
狛犬を越えてすぐ左側に手水舎がありました。手水鉢には龍が彫られておりその由来が案内されています。
ここの手水鉢は天保六年(1835)三十人の青年が島原半島一円を巡礼し喜捨を仰ぎその浄財をもって奉納されたとの事です。
▼ 手水舎 ▼![]() |
▼ 手水鉢の案内 ▼![]() |
▼ 手水鉢巡礼歌の由来 ▼![]() |
手水舎の横には石碑がいくつか並んでありますが文字がよく読めません…
正面を見ると拝殿があるのでそちらに向かう事とします。
拝殿前にも一対の狛犬が鎮座していますが木で少し撮影しにくい位置取りとなっています。
どちらも玉を持っていますが左側の狛犬は足元にそして右側は口にある状態をしています。足元の玉は「富」「財産」「吉祥」の象徴で、口に含んだ玉は「虚言・妄言で人を惑わしたり傷つけてはいけない」という戒めだとの事です。
▼ 吽形玉持ち狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形玉持ち狛犬 ▼![]() |
いつもの如く孫娘の健よかなる成長と二人目の孫の無事の出産を願って…
拝殿左横にはフェンスに囲まれたスペースには神額っぽいものやその他のモノが置かれていました。
回り込んで本殿の右側には倒壊した鳥居の残骸とその倒壊した説明が案内されていました。
▼ 本殿 ▼![]() |
▼ 鳥居の残骸 ▼![]() |
▼ 残骸の説明 ▼![]() |
日露戦争の時の大砲台跡との案内がされている場所がありました。
▼ 大砲台跡 ▼![]() |
▼ 大砲台跡の説明 ▼![]() |
天満宮
▼ 一の鳥居 ▼![]() |
▼ 神額「天満宮」 ▼![]() |
熊野神社のすぐそばに天満宮神社があります。今回も寄ってみようと足を運んでみました。
一の鳥居の後ろにある階段が雑草でおおわれています。服に引っ付く方言で「ば~か(馬鹿)」と言われる雑草が広がっている状況で上がって行く事を断念してしまいました。
階段を上がったとこにある二の鳥居をみる写真を撮ってここの紹介を終えたいと思います。