南島原市 天満宮と熊野神社
南島原市布津町 天満宮
国道251号線沿いにある布津町テニスコートの横にあたる場所に社があります。
島原方面からテニスコートを越えて150m程の小さな交差点を右折し同じく150m程進んだ所に右写真の鳥居が見えて来ます。
ここから50m程進んだ熊野神社の駐車場を利用してどちらも取材させて頂きました。
場所:Googleマップ
天満宮と刻まれた一の鳥居の神額。この鳥居の建立年は分かりませんでした。
また階段を上った所にある二の鳥居も建立年が分かりません。こちらも神額に書体は違いますが天満宮と刻まれています。
▼ 二の鳥居 ▼![]() |
▼ 神額「天満宮」 ▼![]() |
手水鉢は現在形だけのようで手水が流れる手段が用意されていません。屋根があるので雨水がたまる事もないですし…
社の扉には鍵がかかっており隙間から中を見ると結構荒れているって感じがしました。
このまま朽ち果てていくのかも知れません。
この社の裏に回ると網のフェンス越しにテニスコートのハウスとなります。
それでは階段を降りて熊野神社へと行く事に…
南島原市布津町 熊野神社
天満宮の階段を降りると空き地の向こうに熊野神社の二の鳥居が見えています。(右写真)
50m程歩いて熊野神社の一の鳥居です。
もちろん神額には「熊野神社」と刻まれていますが熊の字が少し違った感じに見受けられました。
向かって右の柱に補強の為か金属が巻かれている感じになっています。
石碑には昭和四十五年(1970)と刻まれている石畳と橋を渡って二の鳥居近くまで進みます。
ここから空き地越しに先ほど行った天満宮の一の鳥居が見えています。
二の鳥居はスペースがなく正面から写す事が難しく斜めからの撮影となっています。
神額は「熊野宮」です。
鳥居を越え少し上り坂を進んで階段を上った所に少し変わった狛犬が一対鎮座。
▼ 吽形狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形狛犬 ▼![]() |
由来によると享保20年(1735)に奉納されたもので寛政4年(1792)の普賢岳噴火による大津波が来た時にも流されることなく後世、津波からの守り神と伝えられているとの事でした。
正面からは逆光になってしまったので進んで振り返ってからの狛犬をパシャリ!
案内によるとこの砲台跡は大正10年(1921)8月布津町出身の方が佐世保鎮守府に保管されていた大砲が置かれていたものだそうです。
大砲は昭和19年(1944)に政府の命令により金属不足のために供出したとの事でした。
また鎮魂を込めて多分ここ布津町出身の出征軍人の名を記されています。
天保六年(1835)青年30名が島原半島一円を巡礼して喜捨を仰ぎその浄財で奉納されたとの事。
手水鉢巡礼歌の由来という案内も提示されていました。
拝殿の前には昭和十四年(1939)奉納された一対の狛犬。しかしその前に木が有り枝葉で狛犬を撮るのが難しい感じとなっています。
どちらも玉持ち狛犬ですが向かって左にある吽形狛犬は手に、右側の阿形狛犬は口に含んでいます。
足元の玉は「富」「財産」「吉祥」の象徴であり口に含んだ玉は「虚言・妄言で人を惑わしたり傷つけてはいけない」という戒めだとの事。
▼ 吽形玉持ち狛犬 ▼![]() |
▼ 阿形玉持ち狛犬 ▼![]() |
拝殿の扉はカギがかかっており柵にある設けられた隙間から賽銭を入れます。
一歳になった孫娘が健よかに育ってくれますように…
拝殿左側に行くと絵馬掛け所がありさらにその横に特に説明書きは無いのですが欠けた神額や石灯篭の一部分?的なものが囲ったフェンスの中に置かれていました。
本殿を回り込んで行くと倒壊した鳥居を集められて展示されていました。
万延元年(1860)奉納された鳥居ですがトラクターの接触により平成二十四年(2012)倒壊。
接触して倒壊させた農家の人もここにずっとさらされるってきついものが有りそうですね。
おみこしでも入っているのかなと近づくと神社資料庫と書かれた建物が有りました。