しまばら ふるさと日記
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霊丘公園内の島原護国神社

2017年11月1日 公開

島原護国神社

霊丘公園海側の小山にある島原護国神社の紹介です。以前の「霊丘公園を散策」という記事でも触れていますがあれから草刈りとか終わっているのかなと思い今回顔を出してみました。

 

登りの階段は掃除されていたので期待を込めていたのですが周りの草はもしかして多少刈られていたのかも知れないけど境内は草が… 厳しい状態はそのままでした。

 

 

境内には左から「奥羽役殉教之碑」「石祠」「忠魂碑」と並び後ろの塀に沿って石が何個か並べてあります。

 

島原護国神社 島原護国神社

 

島原護国神社石祠の中には島原市出身、南高来郡出身(現在の雲仙市・南島原市)の「殉国者之・・・」文字が隠れて読めませんが地元出身者の霊を祀ってあるものと思います。

 

この石祠の後ろにある石にも名前が書いてあると前回の写真で気づいたので今回はそちらを目的に来てみました。

 

 

島原護国神社

島原護国神社

 

島原護国神社少なくともこの石の数は地元出身者がなくなられているという事がわかります。

 

奥羽役の時代と変わっていないだろう島を眺めながら…

霊丘公園

 

 

 

 

 

島原護国神社11月29日 追記

看板があったので写し案内文を記しておきます。

※数か所読めなかった所と文字が出ないので変えた所があります。

 分からない文字 ⇒ ●

 (ネ己) → 祀 として文を作りました。

また文中には最後だけ「。」でその他は「、」で書いてあったのでそのようにしています。

 

島原護国神社の由来

近代日本の礎となった明治維新は幾多の人士の献
身と犠牲によって築きあげられました、明治元年(一八六八)
の奥羽の役に出陣して戦没した、磯野波蔵員定、小澤
文十郎定明、木下鉄之助…重賢、高徳之進(元影の四士
の慰霊、顕彰のため、…宮山(現社地)に社祠を設け、墓
碑を建て、明治五年五月に鎮座祭を行いました、明治
七年には祭杞修繕ともに官費で支弁する官祭となり
ました、そして社号も招魂社から官祭招魂社と変わり明
治三十三年には、天誅組や天狗党に加わり殉難した
尾崎●五郎靖、保母建景光、伊藤盉荒●融、それに日
清戦役に戦没した、松尾才蔵、高木清太郎の五柱を合
祀しました、越えて昭和十四年には島原護国神社と社
号も改まり、祭儀もおごそかにかつ盛大に行われてい
ました、ところが、第二次世界大戦の敗戦により制度
も世運も急変し、官修墳墓は、第一国民学校の郷賢祀
とともに奉祀さられし同校出身戦死者碑名も小山に移
しました、それがいつともなく無断で本光寺境内に移
されました、その事績を記し英名を永く伝えるため、
昭和五十七年に有志があい計り、奥羽役殉難之碑を建
●し、あわせて境内地の整備を行いました。

 

さび等で読めなかったり、また誤植があるかもしれませんがご容赦を!

無断で本光寺境内に移され…」って何か対立やらあったんですかね?!

 

 

 

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