島原市 江東寺・涅槃像
島原市 江東寺
島原市一番街アーケードの南側から入るとすぐ左側に間口の広い開けた空間が見えて来ます。江東寺の境内への入口となります。
アーケードに沿って江東寺由来書も提示されており入り口は分かりやすいかと思いますがアーケードは通れても一一方通行であったりするので別の道から来る事になります。
車の場合私は白土湖側から山崎本店酒造倉庫横を通って行っていますね。
▼ 江東寺由来書 ▼![]() |
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▼ 江東寺山門 ▼![]() |
山門の神額には「江東禅寺」とあります。
山門手前の左右壁側に多くの石像があり参拝の方を出迎えてくれます。
今日は天気が良く青空が広がっています。 |
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江東寺はもともと、永緑1年(1558年)有馬晴信の弟・宣安明言和尚が北有馬・田平に開山しました。
その後、新城主・松倉重政が島原城を竣工させると、その地を城下町郊外の今村に移し、寛永1年(1624年)新城主・松倉重政はここを菩提寺と定め江東寺と改められました。 島原市のHPより |
▼ 入ってすぐ右、堂塔内部 ▼![]() |
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涅槃像(ねはん像)
昭和32年(1957年)、奈良信貴山・福崎日精師の作で、見事なねはん像が造られました。このねはん像は、板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立されたものです。
身の丈8.1mの鉄筋コンクリート造りのねはん像としては日本最大で、足の裏に大法輪の相(仏足石)が刻まれているのも最初だそうです。
頭部は、信者による写経1万巻が納められ、台座は歴代住職の納骨堂です。側には島原の藩主となり、島原城を築いた松倉重政と島原の乱鎮圧の追討として派遣され戦死した板倉重昌の墓碑もあります。
島原市のHPより
▼ 涅槃像 正面 ▼![]() |
涅槃像の写真を撮っていたら自転車に乗ったお父さんが話しかけてきて涅槃像が良く見えないけど周りの木を切る事はできないとの事。
また昔はもっと綺麗だったが普賢岳噴火の火山灰で汚れてしまい現在のようになったと教えて頂きました。 |
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島原市指定史跡 松倉氏の墓
▼ 現地案内 ▼![]() |
江東寺は松倉氏の菩提寺です。松倉豊後守重政公は元和二年(一六一六)大和国五条から移って島原藩主となりました。
はじめ有馬の日野江城に入りましたが日野江城、原城を廃して島原城の築城を元和四年(一六一八)から始め、四~七年の歳月をかけて完成させました。 現地案内文より |
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