島原鉄道 南目線(平成20年3月31日廃止)
秩父が浦駅跡
昭和18年(1943)島原鉄道と口之津鉄道が合併
平成8年(1996)技術専門校前駅を秩父が浦駅に改称
平成20年(2008)島原外港駅~ 加津佐駅間廃止
平成5年(1993)より雲仙普賢岳噴火災害で島原外港駅と深江駅間が不通。
平成9年(1997)高架化が完成、全線で運行を再開。またトロッコ列車が走るようになり保育園のイベントで乗ったこともありましたが平成20年(2008)南目線(島原外港駅~ 加津佐駅間)が廃止とされました。
島原港駅(旧名:島原外港駅)の隣駅である秩父が浦駅はこの時に廃止となっています。
▼ 元踏切近くより ▼ ![]() |
▼ 秩父が浦駅 ▼![]() |
スクーターを側に停めて元線路の砂利道を通って駅に向かいます。途中でランタナが咲いていましたよ。
線路を歩き駅を通り越しパシャリ!奥から上ろうとしたのですが蜘蛛の巣が… 仕方ないので駅舎近くまで戻って上る事にします。
もちろん歩いて行く事は出来ませんが島原港駅方面をパシャリ!でも癖なのか島原港ではなく外港って思い浮かべてしまうのは年齢のせいなんでしょうかね?
駅舎の表示物に南目線廃止に伴うバス時刻改正のお知らせや時刻表が10年以上たった現在も残っています。
▼ バス時刻表 ▼![]() |
▼ バス時刻改正のお知らせ ▼![]() |
島原鉄道ディーゼル機関車
場所:Googleマップ
ふかえ桜パークには引退したディーゼル機関車が展示されています。
D37型ディーゼル機関車
このD37型機関車は1967年(昭和42年)、島原鉄道のC12型蒸気機関車に代わる貨物列車の牽引用として神戸市の川崎車両(株)でD3701号~D3703号の新造制作されました。
以来、3両の機関車は1984年(昭和59年)の貨物輸送廃止まで諫早~加津佐間を牽引し物資の輸送に活躍しました。
D3701号・D3702号の2両は廃車解体されましたが、このD3703号は業務用車(主に保線用車の牽引)として残され特に雲仙普賢岳噴火災害では復旧工事における資機材運搬車両の牽引に相当な威力を発揮しました。そして1999年(平成11年)12月32年間の役目を終えたこの機関車は島原鉄道の寄贈により「ふかえ桜パーク」に保存することになりました。 2000年2月 深江町
現地案内文より
▼ 後方より ▼![]() |
▼ 前方より ▼![]() |
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機関車の真横からの道は草が茂っており通る事は出来ませんでした。
後方側より機関車迄いく事が可能なのでそちらから回り込む事にしました。
入る所にも蜘蛛の巣があり落ちている枝を使って除去。 |
深江駅跡
▼ 駅舎 ▼![]() |
▼ お知らせ ▼![]() |
場所:Googleマップ
国道251号線から入った島原街道と呼ばれている狭い道沿いを進みます。地場商店の浅利ストアから入った所に深江駅跡があります。その奥にJA島原雲仙深江支店があるのでそちらを目印にするのがいいかもしれません。
「ご支援ありがとうございます」の文字と共に噴火災害時の写真が飾られていたものがそのまま残っているようです。
どうしても朽ちていくだけっていうのは寂しいものがありますよね。線路も含めて有効活用できることは無いのでしょうかね!?
布津駅跡
うれしい事に青空が大分広がって来ました。ここは無人駅ってわけでは無かった感じですよね。
ここにも花が咲いていましたよ。アサガオでいいんですよね?10時半って時間帯からヒルガオ?かも知れません(笑)
国道ではなく海沿いのこの道は通った事がなかったので布津駅も初めて来ました。
▼ 構内 ▼![]() |
▼ 駅舎 ▼![]() |
有家駅跡
場所:Googleマップ
建物はとてもきれいに保たれています。っていうかバスターミナルになっているようでした。私がここに来るのも20年以上ぶりって感じなんですよね。
ここにも近くに何か花が自生していないかって見渡したのですが見つけられず…
駅名標も残っており「←蒲河 西有家→」て事で西有家迄行こうかと少しだけ迷いましたが今日は断念する事にします。
▼ 駅舎北側 ▼![]() |
▼ 駅舎南側 ▼![]() |
春日神社
場所:Googleマップ
地図でこの場所に神社があるなって思っていたのですがこの道(県道132号線)通る時は車だったのでいつもはスルーしていましたが今回はスクーターだったので探してみる事にしました。
擁壁の一角に小さな仏像があります。そこから入った道を20m程進むと鳥居が見えて来ます。
結構急な階段を上って行くと少し開けた場所になったのですが目の前には小さな蛇が一匹おり気配を感じたのかサササって感じで逃げていきます。
▼ 階段から社 ▼![]() |
▼ 石灯篭と社 ▼![]() |
落ち葉を注意しながら安全(蛇が怖くて)を確認しつつ社に接近。社前の石灯篭には大正六年(1917)と刻まれています。
社の扉は閉まっており中を見る事が出来ません。裏に周ってみると何やら木の間に石祠が見えて来ました。
石祠の中には石像が納められています。でも造りからしたら本殿の建物が崩れて外にでてしまっているとも見て取れますが… どうなんでしょうかね?
小山にある小さな春日神社でした。
▼ 石祠 ▼![]() |
▼ 階段上より鳥居 ▼![]() |