雨の日、今村刑場跡に行って来た
今村刑場跡
雨で刑場に訪れる!なぜ雨の日にって言うのは人がいないの一言です。ここを含めて公園も子供やお母さんたちを写真に撮るのは非常に戸惑います。最近ちょっとした事での事案発生と言われると聞いているものですから…
_____
この地一帯を今村といい、島原城下町の南端で昔は海岸に沿った場所でした。
かつては往還(殿様道)が通っていて、南目(島原半島南部)の村々への出入口となっていたそうです。
この処刑場が置かれたのは島原城築城の頃からで、重罪人の首をはね、見せしめの為にさらし首としていました。また、キリシタンを厳しく取締まった藩主・松倉重政がイタリア人宣教師ナバルロ神父、大村領信者56人の処刑など多くのキリシタン信者の処刑を繰返した場所でもあります。
寛政4年(1792年)の島原大変でこの場所も一旦埋没しましたが、その後も引き続き処刑場となり、明治3年(1875年)まで使用されました。
最後の処刑者がお糸であったのでここをお糸が墓とも言われています。
引用 島原市 _____
![]() |
![]() |
場所は白土湖から崩山を通り新山に行く道になります。わかくさ保育園の隣になりますが一番近くても総合運動公園の駐車場を利用しないと有料を含めて駐車場はありません。
※訪れる際は付近の方の迷惑になる駐車はおやめ下さい。
年配者になると「今村刑場」という名称ではなく「お糸の墓」と呼ばれていました。 供養塔と南無阿弥陀仏と刻まれたお墓があります。
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |