南島原市北有馬町 日野江城跡
有馬氏の日野江城
原城を見たんだからと車なら結構近くにある日野江城にも行かなきゃと初めて行ってみる事にしました。
標識を見ながら行ったにかかわらず何故が逆に行っていたりで多少混乱しつつもそれらしき駐車場に到着。
車を置いて階段を上って見る事にしました。階段の登り口には史跡日野江城跡大手口と書かれています。天気もいいし気持ち良い風景が見れるかなと期待して…
▼ 駐車場の案内 ▼![]() |
スポンサードリンク |
左側にフェンスがありまっすぐ階段を上っていると正面にもフェンス。立入禁止の案内かと読んでみるとイノシシ被害対策の為の進入防止柵だったようです。自由に入ってもいいけど出入り時には閉めてねって事でした。
![]() |
① 金箔瓦が出土 ② 階段遺構 ③ 道が…どうやって行くのか分からない ④ 広場?にたどり着く |
![]() |
|
![]() |
二の丸跡からほぼ完全な形で金箔瓦が出土。豊臣政権の重要な位置を占める城郭のみ使用が許されていたとの事で4万石の小大名でありながら天下人との密接な関係があった事が分かります。
領内40を超える寺社を破壊。その時解体された仏塔を使った可能性が高いと推察されています。
現地案内より要約
足首上までまではある草の中で道っぽい所を通り上を目指します。途中崩れた個所の上を周り道して何とか桜の木がある広場っぽい所に到着。
▼ 細い道の先に看板 ▼![]() |
広場は足首に届かないくらいの草なので手入れされた後なんだと思われ先に進むと小道があり少し上ると国指定の史跡ですの案内。
その先に平成十二年建立の鳥居があります。神額には日野江神社とありました。 ここいらが一番上なんでしょうかね。 |
|
|
![]() |
鳥居の奥には小ぶりな狛犬が出迎えてくれます。さらに階段を上り少し右手に日野江神社の社があります。 社の中には御神体である二体の石像があり見た感じ男女っぽく感じるのは私だけでしょうか? |
![]() |
|
![]() |
▼ 石祠の横に旧神額 ▼![]() |
この通称八天様と称する役小角祠は寛文七年十二月祐植嘉門他三氏により建立されたもので、遺構は両部神道に因る。 現地案内文より
多分以前の神額であろうモノが石祠横にありました。それほど広くない広場に桜が咲いています。 |
|
|
慶長17年(1612)有馬晴信が失脚。元和2年(1616)松倉重政が入封し元和4年(1618)森岳城(島原城)の築城の為廃城となりました。
自分が来た道と逆側に階段がありその先には桜が茂っていました。駐車場もあるようなのでそちらが正規ルートなのかもしれません。 |
▼ 日野江城跡の説明 ▼![]() |
|
|
![]() |
ちょっとかすれ気味になった日野江城跡全体図~発掘調査成果の紹介~って看板を発見。 天気のいい日だったので青空がとても気持ちよく高台という事もあり遠くまで見渡す事が出来ました。 ここの支城であった原城方面も見る事が出来ます。 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
乱積(城壁)と書かれた標識を写し階段を下りて車まで…と、思って進んでいましたが横のフェンス奥にも説明文があり行ってみる事に!
桜で鴨まれた広場を見上げているとなんだかお城というより段々畑を見上げているような感じがしましたよ(笑) |
|
|