旧島原藩薬園跡
島原市小山町 島原藩薬園跡
まずは薬園跡の駐車場を案内。がまだすロード島原ICを降りて総合運動公園方面へ約400m、がまだすロード下を潜り50mほど行くと左手に石垣。
その石垣が途切れた処から民家を2件ほど超えると駐車場の案内看板有り左折。
乗用車11台・マイクロバス2台駐車可能な無料の駐車場が用意されています。
場所:Googleマップ
▼ 旧島原藩薬園跡全図 ▼![]() |
島原藩主松平家の命によりシーボルトの門人賀来佐一郎、藩臣飯島義角らによって島原城本丸から移転造園された薬草園。
1846年に薬園を開墾。さらに拡張工事を行い1853年に完成しその後1869年(明治2年)に廃止となった薬園の跡となります。
開園時間:9:30~16:30 入園料:無料 |
駐車場から直接薬園へと入る事が出来ますが正規の入口からすると逆側になってしまいます。
案内図で言うと県内で栽培されている薬草と山野で見かける薬草の間にある道で中へと進みます。
晴れの日なんで来たから当たり前ですが出かけるのは青空が広がっている日がいいですよね。
「昭和福ハゼ」二世木(島原市指定天然記念物)
突然変異によって実のロウ分が普通のハゼの1.7倍あり国の奨励品種として「昭和福ハゼ」と命名。接木した品種が各地に贈られたとの事。
原木は幹回り3.2m、高さ15mで樹齢約180年ありましたが平成2年に始まった雲仙普賢岳噴火に伴う火砕流・土石流により平成5年6月に焼失。
熊本県に接ぎ木され育てられていたものを平成7年に「昭和福ハゼ」二世木がこの地に移植されました。
この二世木は島原市指定天然記念物となっています。
_____ 追記 2022/4/9
まゆやまロードにある千本木展望所に下記写真の案内があったので撮影してこのページに追記として入れています。
追記ここまで _____
屋敷跡
ここには薬師、弁財天祠、薬園方詰所跡、倉庫跡があるとの事。昭和49年から4次にわたる調査が行われて整備されたとの事です。
弁財天祠の御神体は島原市のHPによると宮の町にある猛島神社へと移されているようです。
この裏の舗装された道は噴火災害前まで狭い左右を木で囲まれた土で出来た小路だったんですけどね。
眉山の裏を通れるまゆやまロードもですが災害後に一気に整備された事が思い出されます。
薬園内の花々
▼ 終わりかけの梅の花 ▼![]() |
▼ ダイダイ ▼![]() |
紫花菜(ムラサキハナナ)の別名で諸葛菜(ショカツサイ)とも言うそうです。三国志で有名な諸葛孔明が兵糧の野菜として利用したと言われています。
この時期に来た本当の目的はハクモクレンだったのですが木が切られており見る事が出来ませんでした。
花言葉は先駆者・指導者
サクラよりも一足早く、はにかむようにピンクの花を咲かせる事からつけられた花言葉との事。
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木の根元に白と紫の小さな花が沢山咲いていました。なんという花なんでしょうかね?
管理人がいる建物でしょうか?そこには旧島原藩薬園跡関係略年表がありました。