島原藩薬園と稲荷神社
旧島原藩薬園跡
旧島原藩薬園のあらまし
天保13年(1842年)、島原藩・松平忠誠は、長崎で西洋医学を広めたシーボルトの高弟であった、賀来佐之を医師として招き、翌14年藩の医学校「済衆館」の薬園に薬草を栽培させました。しかし、「済衆館」の薬園は手狭な上に薬草の栽培には条件が良くなかったため、弘化3年(1846年)、眉山の麓、焼野の地に薬園を開墾させました。これが現在の旧島原藩薬園跡です。 ~ 省略 ~
この薬園も、廃藩により、明治2年(1869年)11月に廃止されています。
旧島原藩薬園跡は、幕末における小藩経営の薬草園とはいえ、全国的にもまれにみる遺構を止めた史跡であることから昭和4年に国の史跡に指定されています。 パンフレットより ___
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がまだずロード島原ICから総合運動公園へ約500mで石垣の先に車の駐車場入り口案内が見えて来ます。大型バス2台と乗用車10台分の駐車場が整備されています。 駐車場から直接薬園に入れますが実際の入口の位置はちょうど反対側になり事務所の建物と薬園の年表が提示されています。 下記の写真は入口から見た薬園です。 |
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▼ 菖蒲? ▼![]() |
名札と言うかプレートを写していませんでしたが紫の花は菖蒲だと思います。
一番下の通りの奥にはトイレが用意されているようですね。 大きなきの奥に家の瓦が少しだけ見えていますがその下が駐車場になっています。 |
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11月には「しまばら薬草フェア」が行われており薬草粥がふるまわれたりもされています。2018年は11月3日(土)4日(日)で行われました。
下の写真は薬園のメインの縦道
▼ メイン縦道側の遺構 ▼![]() |
薬草とそのネームプレートが提示されており名前と薬効分かるようになっています。
沢山の種類の草花また木があるので薬草に興味有る無しにかかわらず軽く散歩をしつつ花の名前を知るって感じで来てみてはいかがですか? ちなみに犬の散歩はご遠慮下さいとなっています。ご注意を! |
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長崎県の天然記念物に指定されていた和福ハゼ原木(幹周り3.2m・高さ15m・樹齢180年)が平成二年に始まった雲仙普賢岳噴火災害で焼失。
接木し各地に送られていたものを移植した二世の昭和福ハゼが島原のこの地に戻って来ました。 |
▼ 草花 ▼![]() |
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薬園の一番上にあたるちょうど石垣付近には遺構が数多く残されています。これは県により1974~76年に発掘調査また整備が行われたためです。
事務所側より北側から西側にかけて石垣がありすぐ横の道を通る時には角の高い木と合わさり薬園の場所はすぐ確認できると思います。 |
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北側にある畜魂碑から見た薬園の石垣
▼ 畜魂碑 ▼![]() |
薬園のすぐ近くに石碑があります。 近くで見てみるとその石碑には畜魂碑(昭和六十三年建立)と書かれておりすぐ近くに島原農業高校がある事に関係しているのではと推察。
牛や豚などが飼育されているのでと言っても個人的な予想で調べた訳ではありません。 |
五社大稲荷大社
島原藩薬園かた直線距離で約100mにある稲荷神社。鳥居そばにある看板には「島原最古、由緒ある松倉家臣の稲荷神社」とあります。
境内的にはそれほど広くなく右の写真から20m程で階段があり数m程上ると建物があるという感じでしょうか?
千本鳥居が階段まで5本ですね。階段上と建物前に各1本の合計7本のようです。
▼ 千本鳥居 ▼![]() |
階段を上りすぐ左手に石祠があります。 その前に置かれている神額には瓢箪畑とあり薬園と逆方向へと100m程行ったところにある瓢箪畑稲荷神社と同じなのかもしれません。
拝殿?社務所?何と言っていいのか分かりませんが建物の戸に手をかけると開くことが出来ました。 |
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祭壇があり手書きの神社祭祀の説明が書かれていました。 上がってお参りするべきなのでしょうが今回は玄関?にて中の写真を撮らせて頂き失礼する事に。
祭壇横に賽銭箱もあったのでどうしようと迷ったんですけど… HPでの紹介だけにさせて頂きました。 |
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