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潜伏キリシタン関連遺産 原城
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潜伏キリシタン関連遺産 原城

2021年3月23日 公開

南島原市南有馬町 原城跡

原城温泉 真砂 世界文化遺産「原城」に隣接する温泉施設、真砂の駐車場を利用して歩いていく事にします。無料で利用する事が出来てここから以前はシャトルバスが出ていました。

 

 昨年は新型コロナの影響でシャトルバス運休のお知らせがあり今年はどうなんでしょうか?今回私が行った時には特に停まっていなかったので歩いて行きました。

 

 表示では850mとの事で足が不自由な方には少しつらい距離かもしれません。後で調べると無料レンタサイクルがあるそうなのでそれを借りる方がバスよりいいかもしれません。

 場所:Googleマップ

 

 

潜伏キリシタン関連遺産 原城

 9時前という時間帯で少し肌寒くはあったのですが青空の元歩いていると体も結構温まって来ました途中に

 

 途中原城の説明案内が各所に用意されています。その案内を読みながら畑の中の道を歩いて行くのもなんだかいい感じに思えてきました。

 

 途中散歩?されている二人組のお母さんとすれ違い朝の挨拶をして歩いて行きます。

 

潜伏キリシタン関連遺産 原城
潜伏キリシタン関連遺産 原城

 

 

 しばらく歩いて行くと何やら新しいモニュメント?って思い近づくと世界遺産の案内でした。芝生の育成のためロープが張られており近くには行けません。

 

 またすぐ近くには二の丸跡の案内もあります。残り200m程でしょうか?原城跡が見えて来ました。

 

▼ 世界遺産の案内 ▼潜伏キリシタン関連遺産 原城   ▼ 二の丸跡の案内たてこもった ▼原城 二の丸跡

 

 

 駐車場から歩いてちょうど10分で到着。シャトルバスもここまで運航しています。

 歴史の授業で習った島原の乱で農民の一揆勢がたてこもったお城というか城跡になります。詳しい原城の案内は右の画像をクリックしていただけると大きな画像で見る事が出来ます。

 

 

▼ 空堀跡と奥の案内所 ▼原城 空堀跡   ▼ 原城跡の案内 ▼原城跡の案内

 

 

 島原・天草一揆の終結(1638)より130年ほど後の明和3年(1766)、北有馬村願心寺の住職らが原城跡に残されていた遺骨を敵味方の区別なく供養した地蔵塔。

 

▼ ホネカミ地蔵 ▼原城 ホネカミ地蔵   ▼ ホネカミ地蔵の案内 ▼原城 ホネカミ地蔵

 

 

 原城本丸に入って中程に位置する2つ目の門跡。一揆の後、幕府軍によって壊され埋められたものを発掘調査で土砂などを取り除いたもの。

 

 文字が読めずに詳しい事は分かりません。順路で行くとこの石祠の後ろを通って埋門跡に着きそこから戻るような形で進んだ所にある石碑と石祠です。

 

 

▼ 埋門跡 ▼原城 埋門跡   ▼ 埋門跡の案内 ▼原城 埋門跡

 

 

 原城本丸へと繋がる最後の門。櫓門が建てられていたと考えられますが礎石の一部がなくなっており階段の踏み石はわずかしか残っていません。

 

▼ 本丸門跡 ▼原城 本丸門跡   ▼ 本丸門跡の案内 ▼原城 本丸門跡

 

 

 いよいよ本丸跡です。ここには桜が植えられておりこの日(3月23日)見た感じで場所によって多少違いますが五分咲きから七分咲きに感じました。高台になるのでここから見る有明海もきれいですよ。

 

 今なら世界遺産と桜そして海を堪能する事が出来ます。天気が続いてくれるといいのですが…

 

▼ 本丸跡 ▼原城 本丸跡   ▼ 本丸跡の案内 ▼原城 本丸跡

 

 

 発掘調査で大きく張り出した石垣跡が発見され宣教師が残した報告書には三層の櫓が建てられていたと記されています。

 有明海の遠くまでみる事ができ展望のいい場所です。のんびりとした空間を楽しむ事が出来ました。

 

 

▼ 櫓台跡(天守台跡) ▼原城 櫓台跡   ▼ 櫓台跡からの展望 ▼原城 櫓台跡

 

 

 櫓台跡の近くに石像と石碑が幾つか並んでいます。またこれも文字が読めず詳しい事はよく分かりません。

 

 逆光になるのですが奥には桜の木が並んでいます。この時は私一人の貸し切り状態です。

 

 

▼ 石像と石碑 ▼原城 石像と石碑   ▼ 石碑 ▼原城 石碑

 

 

 奥の方へと歩いて行きあずまや近くから振り返ってパシャリ! 青空がいい感じでした。

 

原城 本丸跡

 

 

 昭和三十二年(1957)建立の原城跡の碑。

 またその横にある彫刻家・北村西望作の天草四郎像。島原城にもありますね。

 

▼ 原城跡の碑 ▼原城跡の碑   ▼ 天草四郎像 ▼原城 天草四郎像

 

 

原城 天草四郎時貞の墓碑 天草四郎は小西行長の家臣、益田甚兵衛好次の子で本名益田四郎時貞。

 島原の乱に際し、若干15才で一揆軍の総大将として幕府軍と対立。この本丸で首を切られ長崎でさらし首にされたそうです。

 

 

▼ 天草四郎時貞の墓碑 ▼原城 天草四郎時貞の墓碑   ▼ 墓碑の案内 ▼原城 天草四郎時貞の墓碑

 

 

原城 石像 墓碑の後ろ側、柵の向こうには三体の石像が海を見つめています。何を願っているのでしょうか?

 

 また本丸南、約300m沖合に東西約1000mに亘る白洲と呼ばれる浅瀬があるそうです。旧暦3月と8月の最干潮時にもっともよくその姿を見せるとの事。「リゾサムニューム」という珍しい食物が繁殖しているもので世界に3ヶ所にしか見られない珍しいものだそうですよ。

 

 

原城 海を見つめる三体の石像

 

 

原城 佐分利九之丞の墓 佐分利九之丞(1578-1638)は鳥取藩池田家の家臣で島原・天草一揆の時に使者として有馬の地に来た人物。

 寛永15年(1638)の幕府軍の総攻撃の時に討たれ、死の直前側にあった医師に自分の名と日付を刻んだと伝えられています。

 

 

▼ 本丸跡 ▼原城 本丸跡   ▼ 佐分利九之丞の墓 ▼原城 佐分利九之丞の墓

 

 

 原城本丸に入る三ヶ所の門の一つで発掘調査で門と思われる礎石やその両側の石垣、階段などが発見されています。

 

▼ 池尻口門跡 ▼原城 池尻口門跡   ▼ 池尻口門跡の案内 ▼原城 池尻口門跡

 

 

原城

 

 

 原城跡の石垣は島原・天草一揆の終結後、幕府軍によって徹底した破壊を受けました。突き落とした築石を前方へ引きずり出し再び突き崩すといった作業が繰り返されました。また、石垣の下から一揆勢の亡骸も数多く発見されました。

 

▼ 石垣の破壊 ▼原城 石垣の破壊   ▼ 石垣の破壊の案内 ▼原城 石垣の破壊

 

 

 原城跡では本丸にのみ石垣が確認。ほかの曲輪は石垣を伴わない土造りとなっています。中世城郭の名残が見られる点も大きな特徴となっています。

 

▼ 石垣 ▼原城 石垣   ▼ 石垣の案内 ▼原城 石垣

 

 

原城 板倉重昌の碑

 

 

 板倉重昌は幕府の第一次上使として派遣され、幕府方連合軍の総大将を務めました。寛永15年(1638)元日に三度目の総攻撃で突入し51歳で戦死。

 重昌を偲んだ孫の重道の依頼により、延宝9年(1681)に制作されたものです。

 

▼ 石碑 ▼原城 板倉重昌の碑   ▼ 板倉重昌の碑案内 ▼原城 板倉重昌の碑

 

 

 

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