消防殉職者慰霊碑
雲仙普賢岳噴火災害:消防殉職者慰霊碑
島原復興アリーナは1990年噴火災害における復旧事業の一環として土砂を埋め立て造成され島原市平成町に2000年7月にオープンしています。
その施設の海岸端に噴火災害時殉職された消防団の慰霊碑があります。6月3日の祈りの日には追悼式が行われ犠牲者の冥福を祈り、災害で得た教訓を後世へ伝えて行く決意を新たにする一日としています。
碑文
一九九〇年(平成二年)十一月十七日、雲仙・普賢岳が山頂から白煙を上げ、一九八年ぶりに噴火活動を開始した。
はじめの頃は、穏やかであった活動が徐々に活発になり土石流や火砕流が発生したため、避難勧告が発令され、消防団員が昼夜を問わず、監視活動や住民の避難誘導に当っていた。
翌年六月三日、午後四時八分発生した、予想もしなかった大火砕流に飲み込まれ、監視に当っていた消防団員十二名を含む四十三名の尊い人命が奪われるという大惨事となった。
我々消防団は、同胞の団員が殉職したことに対し、悲痛な衝撃を受け、残された遺族のことを思うと心を痛めるばかりであった。
我々は殉職した消防団員の崇高な郷土愛と不屈の消防精神を消防人の鑑として受け継いでいかねばならないと改めて決意した。殉職した団員にたいしては、二階級特進がされ、国からは著しい功績が認められた死亡叙勲が授与された。
一九九六年(平成八年)六月、雲仙・普賢岳の噴火活動の終息を迎え、地域防災のため殉職した団員の勇敢な行動をたたえ、この功績を末永く顕彰し、安らかなご冥福をお祈りするとともに、後に続く消防人の心を奮い立たせるため、この慰霊碑を建立する。
なお、この慰霊碑は全国の消防関係者等の皆様から寄せられた心温まる義捐金を浄財にさせて頂いた。
一九九九年(平成十一年)十一月十七日
島原市消防団長 下田信男
自衛隊ヘリコプター・装甲車の引き渡し
平成19年6月3日の「いのりの日」に自衛隊ヘリコプター・装甲車の引き渡しが行われました。このヘリコプターと装甲車は、雲仙普賢岳噴火災害において長期にわたり捜索活動や警戒監視活動などに従事した自衛隊の活躍を永く後世に伝えるため、展示用として市に寄贈されたものです。
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